私は『カツラーの秘密』という著書もある、まさにカツラの人である。20代の半ばすぎにして髪が薄くなり、27歳にしてカツラを購入した薄毛人間だから、「人生で髪がふさふさ自然に生えていた期間は短かった。そのうちの3年間を丸刈りで過ごしたので、「なんともったいなかったか」と、これは半ば冗談だが、「髪は生えるうちに伸ばした方がいいぞ」と思っている。

選抜高校野球 小豆島-釜石=2016年3月21日、
甲子園球場(二星昭子撮影)
選抜高校野球 小豆島-釜石=2016年3月21日、 甲子園球場(二星昭子撮影)
 高校野球の一番の問題点は、「本人の意志でないのに、やらされる」ところにあると感じている。規則ではないのに、拘束されていることが少なくない。それはすごくタチの悪い空気(環境)ではないだろうか。



 例えば、日本高野連は、適度な休養が大切という観点から、週に一度を休みを取るようにと通達し、いまはどの高校も「練習は週6日」が徹底されている。ところが、本来休日であるはずの1日は、多くの高校で「自主練習」に充てられている。自主的だから個人の意志かといえばそうではなく、さっさと帰宅しようとすれば、「お前、帰るのか?」といった厳しい視線を浴びるチームもあると聞く。

 かつて、定時に帰ることがはばかられていた日本の職場環境に似ている。ワークライフバランスの重要さが認識され、日本の職場も変わりつつあるが、大人たちの「古き悪しき体質」が、高校野球の世界では根強く残っている。丸刈りもそのひとつである。

第88回選抜高校野球 小豆島―釜石 釜石に敗れ、ベンチ前で一礼する小豆島ナイン
=2016年3月21日、甲子園球場(共同)
選抜高校野球 釜石に敗れ、ベンチ前で一礼する小豆島ナイン =2016年3月21日、甲子園球場(共同)
 丸刈りにする時点で、監督に絶対服従を誓う意志表明のように思えてならないのは気のせいか。野球をするのに、監督に服従を誓う必要はない。監督の指示通り動き、サインに忠実に従うことは、むしろ弊害があると私は感じている。

 走者もいないのに、打席からベンチを振り返り、一球一球、監督の指示を仰ぐ選手を異様だと感じるのはむしろ少数派かもしれないが、仮にも「高校野球」、つまり高校生が主役であるべき部活動の舞台で、大人たちの駆け引きで勝負が決まり、大人たちが社会的名声を得るための場になってはないないか。丸刈りは、その根本ともつながっている。

 あらゆる場面で最適な判断を瞬時に行い、最高のプレーをする。それが野球の面白さだし、それを育むところに野球が人間形成につながる素晴らしさがある。高校野球は指示に従い、忠実な歯車になることを求める傾向が強い。精神的に丸刈りを強制することは、すでに個人の自由な意志や発想を束縛し、制約している。「ひとりはチームのために、チームはひとりのためにというバランスが、基本的に崩れてはいないだろうか。