西村眞悟(前衆院議員)



 本年に入ってから北朝鮮は一月六日に核実験をし、二月七日に弾道ミサイルを発射した。そして、その北朝鮮が、二月に入り、我が国内で、スパイ・工作活動を展開していたことが発覚した。東京にある朝鮮大学校元幹部が、日本から北朝鮮のスパイ・工作活動を司令していたのである。これは、何を意味しているのか。それは、日本は、昭和四十九年八月十五日の文世光事件の以前から現在まで北朝鮮の「工作基地」であり「工作資金調達場」である、ということだ。

 以上、本年に入って、我が国の内外において北朝鮮が提起した課題に対して、我が国は何を為すべきか!これが本稿のテーマである。

 現在、北朝鮮の弾道ミサイル発射に対して、我が政界の政府と与野党は、非難決議をするとか制裁決議をするとか動いているし国連の決議に中国はどういう態度をとるのかという点に関心を示している。

 しかし、そういうことをやるなとは言わないが、決議をしてもすぐ忘れる。それは、大震災の時の村山富市や菅直人でもすることではないか。それらは、この度明らかになった事態に対処して、国民を守り国家の安泰を図る為の本質的な決断ではない。

 昨年の一年を使って安保法制の「専門家」になった議員諸侯は、何故、切実な防衛に関して言わないのか。非難決議に、積極的ミサイル防衛や核抑止力の構築の決断が入るのか?

 待っておれないので、ここで言っておく。
2015年10月、北朝鮮・平壌の金日成広場で行われた軍事パレードに登場したICBMとみられる大型ミサイル(共同)
2015年10月、北朝鮮・平壌の金日成広場で行われた軍事パレードに登場したICBMとみられる大型ミサイル(共同)
 まず、我が国の防衛ラインは何処だ。
 
 我が国の海岸線か、
 海の上か、
 敵基地の背後か。

 敵ミサイル基地の背後である。ここが我が国の防衛ラインである。
 
  即ち、敵が我が国に向けてミサイルを発射しようとする時、そのミサイル基地を地上において破壊することは我が国の自衛権(個別的自衛権!)の行使である。従って、今我が国が早急に決断して実行すべき事は、朝鮮半島及び大陸にあるミサイル基地を撃破できる国防体制の構築である。

 次に、核爆弾を我が国に落とさせない体制を構築することが、この国際環境における我が政治の任務でなくて何であろう。つまり、核を既に保有している相手に、如何にしてその核を我が国に落とさせない体制を構築するのか。現実に二発の原子爆弾を落とされた我が国こそ、三発目!を断じて落とさせない体制を構築すべきではないか!
 
 現実に、我が国の近くに二つの核を保有する独裁国家が存在する。我が国は、その独裁者に核を発射する決定をさせない抑止力を如何にして構築するのか。それは、核を発射すれば自分(独裁者)も死ぬという体制を造ることだ。
 
 今こそ、我が国は、一九七七年九月のNATO(西ドイツ首相シュミット)の決断に学ばねばならない。シュミット西ドイツ首相は、ロンドンで、政治的、軍事的バランスの回復は死活的に重要であるという演説を行い、ソビエトがNATOに向けて実戦配備した中距離核弾頭ミサイルSS20に対抗して同じく中距離核弾頭ミサイルパーシングⅡをソビエトに対して実戦配備した。これ、NATOとソビエトの「軍事的バランス」の回復である。その上で、ソビエトに対して強烈な軍縮圧力をかけて、SS20をヨーロッパから撤去させた。
 
 この時、西ドイツ国内に、パーシングⅡ導入反対の強力な「反核市民運動」が巻き起こった。しかし、ソビエト崩壊後、表に出てきたクレムリン秘密文書によって、この「反核市民運動」は、ソビエトの工作活動によって仕掛けられたものであることが判明した。

 今こそ我が国は、とっくの昔から一九七七年当時のNATOの状態におかれているのであるから、ヘルムート・シュミット西ドイツ首相の決断に学ばねばならない。即ち、軍事的バランスの回復は死活的に重要なのであるから、そのバランスを回復しようではないか。

 その時、我が国内に「反核市民運動」が巻き起こり日本軍国主義復活を許さないという叫びが起こる。その運動は、我が国内の北朝鮮や中国の工作基地において仕組まれる。

 そこで強調しなければならない。
 
 それは、我が国が、国家と国民の命を守る為に、敵ミサイル基地撃破体制と核抑止力体制を構築するためには、同時に、我が国内が敵のスパイ・工作活動基地になっている状況即ち「スパイ天国」状態を是正しなければならないということだ。何故なら、我が国が「スパイ天国」で、我が国内が敵スパイの工作基地であるということは、我が国の運命と、国民の生死が、敵に握られていることを意味するからである。

 今こそ、独立自尊、自らの運命を自ら決定する日本を取り戻さねばならない。日本を取り戻すとは、具体的にはこういうことである。

 
 なお、冒頭に記した文世光事件について述べておく。この事件は、北朝鮮が我が国を工作基地として、破壊活動を行い、日韓両国の運命が狂いかけた象徴的事件であり、この事件以降、北朝鮮による日本人拉致が頻発したからである。
 
 しかも、驚くべきことであるが、我が国が工作基地であるという状況は、当時から全く是正されずに現在に至っている。

 在日韓国人青年であった文世光は、大阪湾に入った北朝鮮工作船萬景峰号のなかで、北朝鮮工作員から韓国の朴大統領の狙撃を指令され、朝鮮総連生野支部政治部長金某の指導によって射撃訓練を済ませ、金から資金をもらって盗んだ大阪府警の拳銃を持って、日本人になりすまして韓国に入国した。そして、昭和四十九年八月十五日、光復節を祝う式典に出席した朴大統領を狙撃し横にいた大統領の夫人を殺害した。
 
 捕まった文世光は、朝鮮総連にだまされたと告白し反省の弁明をした上で死刑に処せられた。そして、韓国は日本国内の工作活動の首魁の逮捕と朝鮮総連の捜索を望んだが、日本政府(田中角栄内閣)は韓国の要請を無視して朝鮮総連の捜索をしなかった。その結果、日韓関係は、国交断絶寸前まで悪化した。
 
 そして、この状況を観察していた北朝鮮は、日本人に韓国に対するテロを実行させれば、日韓関係悪化という一石二鳥の効果があると悟り、以後、日本人拉致を本格化させる。その結果が、日本人化教育を受け日本人になりすました工作員が実行した大韓航空機爆破事件である。

(平成28年2月9日「西村眞悟の時事通信」より転載)