世の中にはおかしなことが様々なことがあるが、評論家の呉智英氏が最近おかしいと感じたことは何か。同氏は、大学の文系学部廃止反対論に異議を唱える。

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 室井尚『文系学部解体』(角川新書)が話題になっている。文科省の目指す「役に立つことだけを学ぶ大学」によって「文系学部の解体」が進み「大学はこのまま終わるのか」と怒りを表明した本だ。かねてより文系学部全廃論を唱えている私としては愚論としか評しようがない。十八歳人口の五割以上が大学へ進むという歴史上かつてない時代が到来している意味を、室井は全く理解していない。

 私は「役に立つ」工学系大学で「役に立たない」一般教養を長く教えてきた。テーマは『はだしのゲン』である。むろん、平和教育なんていう役に立つことは全く教えない。M・バークン『災害と千年王国』だの荻生徂徠『論語徴』だの、何の役にも立たないことばかり講義する。

 多くの学生は困ったなぁという顔で聞いているのだが、時々目を輝かして聞き入る学生がいる。しょうがないので講義の後喫茶店に誘い(私のおごり)、あのなぁ、俺の講義を面白がるのはいいけど、面白いことで飯は食っていけんのだよ、ちゃんと電気工学の勉強しろよ、と説教する。

 室井尚の授業は正反対だ。学生にアドルノ&ホルクハイマー『啓蒙の弁証法』を読ませるというのだ。知りあいのドイツ人学者に聞いたが、アドルノはドイツ人でも難しいデス、と言っていた。アドルノらは衒学(げんがく)左翼とでも評すべき難物思想家なのである。それなのに一人の女子学生は「完璧な要約を書いてきた」。

 ところが彼女は「地元の信用金庫」に就職を決めた。私なら胸をなでおろして喜ぶのだが、室井は「もっと自分の能力の活かせる職場に挑戦しないか」と残念がるのである。

 そんな職場って、室井尚のような大学人しかないではないか。結局、衒学左翼アドルノ研究教授の椅子をふやさなければならない。それができないとなると、アドルノの要約の上手なフリーターを毎年作り出すだけである。

 前述の通り、私は文系学部全廃論者である。詳しく言うと、単純な全廃論ではない。芸術系は残す。最初からミューズの女神と心中しようという若者は、それでいい。教育系の国文科なども残す。枕詞やク語法が高校生に教えられないでは困る。そして、IQ150以上の高校生は、強制的に哲学科などの人文系に入学させる。彼らには高額の奨学金を与え、卒業後の生活も保証する。そして、日本からカントやヘーゲル並みの人材を輩出させる。

 もちろん、マルクスでも王陽明でもナーガールジュナでもかまわない。真の人文学復興、真のエリート教育である。

 室井尚の本に何度も「リベラルアーツ」と出て来る。意味が分かっているのだろうか。これは「自由な学芸」という意味ではない。「差別的な学芸」という意味である。奴隷や二級市民には許されず「リベリ(自由民)」にのみ許された特権的学芸のことである。そんなものを人口の五割以上に学ばせて、どんな社会が出現するのだろうか。

●くれ・ともふさ/1946年生まれ。京都精華大学マンガ学部客員教授、日本マンガ学会理事。著書に『バカにつける薬』など。

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