神田敏晶(ITジャーナリスト)

 Amazonが、お坊さんを派遣する「お坊さん便」を取り扱ったことによって、お寺の業界から葬儀業界にいたるまで、各所で物議を醸している。きっと我が家でもAmazonの「お坊さん便」を利用するとしたら、親戚や親族の中から抗議の声が続々とあがることだろう。しかし、なぜ、Amazonでお坊さんをオーダーしたらダメなのか? の問いかけについては、心情面以外で明確な答えは上がって来ないはずだ…。では、なぜ? 人はAmazonでお坊さんを呼ぶことに抵抗感を感じるのだろうか?

 そもそもお弔いとは死者の霊を慰めることであり、後の意思を引き継ぐ親族としての役目でもある。そして、僧侶は、死後の世界をガイドしてくれる為の経験を積んだプロフェッショナルである。しかし、地域のコミュニティや先祖代々のつながりの世界感が希薄になった今日、お寺という存在そのものが日常に介在しなくなっている人が多い。当然、お坊さんとの関わりも薄い。賃貸マンションの中に仏壇を備えている世帯も少なくなっている。墓地に関しても、実家にはあれど、都心部では永代供養料の高騰化から格安合戦にいたるまで様々な展開が繰り広げられている。


祈りの歴史からの開放


 人類の過去の歴史は、宗教と非常に密接しており、生活の主要な一部というよりも、働くこと以外は、ずっと祈り続け、将来の不安を払拭してきた歴史である。しかし、産業革命以降、工場で働き、会社に通うという習慣の中で、「祈り」という行為そのものが、生産的効率的なものとは思われなくなってきた。かくして、今日の日本においての祈りは一部の人を除いて、先祖への祈りしか存在していない状況となった。

 「祈り」は日常から、非日常へと変化し、お盆や命日などの特別な日と歳事による慣習のものへと変化した。同時に、誰もが「祈り」が本来のものではなく、行事化、イベント化しているので、中身よりも、形式を重んじるようになってきたともとらえることができる。僧侶との付き合いも、感謝の念を生産物がない人は、金銭でお渡しすることしかできないので、自分の収入に見合わせて考えるのではなく、お布施の「相場」というものが登場する。僧侶が「相場」で判断され、サービスが売買されている時点で、有り難みという尊さは無くなっていると筆者は考える。

 また、僧侶も人生の糧としてのお布施だから、経営的に成立する価格を求めはしないが、期待することだろう。