なぜ、お寺は「お付き合い」を持てていないのか。その原因の一端を探ってみます。この記事をお読みいただいている方は、今お住まいの家にお仏壇はないけれども、他方でご実家にはお仏壇があるという方が多いのではないかと思います。お寺は「檀家さん」という「閉じたコミュニティ」に対しては、代々ご縁を育んできました。江戸時代、キリシタン禁制のための幕府の政策として「寺檀制度」がしかれ、寺院は戸籍の管理も任されて、「役所」の役割も果たしていました。すべての家が、いずれかの寺院に所属することが義務づけられていたのです。そのため、檀家を増やすことは、言わば「どこかのお寺の檀家を奪う」ことでもありました。そのタブー意識が現代においても残っているからか、「どうすれば檀家さんの次の世代も、お寺と関係をもってくださるか」は考えても、どのお寺とも関係をもっていない方にアプローチすることには積極的になれない感覚が、いまだにあるのだと思います。

 とはいえ、最近になってようやく、お寺の側も意識が変わり始めているように感じています。明治以降も「家を継ぐ」という「家」意識によって、制度としては無くなったけれども実質的に「寺檀制度」は残りました。しかし、戦後の高度経済成長期以降、社会移動が進み、家族のあり方も核家族へ、そして最近では単身世帯が増える中で、「家」意識を生きた最後の世代の方々が世を去るのが目前に控え、やっとお寺の意識が変わり始めたのだと思います。

 若い世代の僧侶ほど意識が変わり始めており、檀家さん以外にも開かれたお寺となり、様々な方にご縁を結んでいただこうと努めておられる僧侶が増えてきています。とはいえ、私たちの努力だけでは足りない部分を、このサービスが補ってくださっている。このことも有り難いことだと思うし、ご縁を望まれる方々のために、私たちもネットでの発信に力を入れていかなければならないと励みにもなっています。以上が(1)についての所感です。

 次に、(2)についてですが、このサービスの仏教側との最大の争点は「お布施が定額であること」です。

 「布施」とは、仏道修行の一つで、仏教の大切な教えの一つです。なので、上記の「僧侶とのご縁の結び方」とは本質的に異なり、核心的な問題であると言えます。「お布施が定額」ということに私も違和感がありますが、それでも「定額」でも良いと思うし、「目安」であればなお良いのでは、と私は思っています。理由は、以下の通りです。

 「お布施は、お気持ちで」と耳にされたことがあると思います。布施とはまさに「お気持ちで」するものであり、本来の意味からすれば金額を提示すべきものではありません。ですが以前、檀家さんから「お気持ちでと言われたら、安く包んだらあかんと脅迫されてるように聞こえるねんで」と教えていただいたことがありました。それほどの「不安」なのだと檀家さんの立場から想像させていただけたご縁でした。布施には「財施」「法施」「無畏施」の三種があると説かれており、それぞれ「金銭や衣服や食料」「仏教の教え」「安心」を与えることです。僧侶は「不安を取り除き、安心を与える」よう努めなければならない。「お布施の相場がわからない」ことは不安だけれども、「定額」だと安心していただけるのであれば、そうしていただきたいと私は思うのです。