新井素子(作家)



   ずいぶん前。井山さんがプロになって驚異の大進撃を始めた頃。(プロ棋士の敬称は、段位で呼ぶか、タイトル保持者ならそのタイトルって決まっているんだけれど、井山さんの進撃は、なんかあまりに凄くて、あっと言う間に段位が変わっちゃったりタイトルが増えていくので、この時の井山さんをどう呼んだらいいのか、今ちょっと判らない。なので、しばらく井山さんって書かせていただきます。)

 私、どこかの囲碁イベントで、実際に生きて動いて対局している井山さんを目撃したことがあった。(……って……いや……別に井山さん、珍獣じゃないんだから、この表現はあんまりだ。けど、あの時の気分は、ほんっとに、「わあい、生きて動いている井山さん見ちゃった!」、だった。)

  この時、多分、井山さん、公開対局か何かをしていたんだろうと思う。そんで、対局が終わって、質問コーナーになって。

「井山くん、この手では、こっちに打つのはどう? その方がよくない?」

 って質問をしたひとがいて驚いた。声を聞く限りじゃ、質問した方は年配の男性だったから、一般的な人間関係で言えば、この質問と呼びかけはありなんだけれど、でも、相手はプロ棋士だよ? そのひとに対して、いくら年上でも、たとえアマ六段だろうが七段だろうが、こんな質問、ありなの?

  でも。井山さんは、とっても素直にさくさくと説明を始め……この説明が、また、凄かった。

 「そちらに打った場合、相手がこう受ける可能性がありまして、その場合は、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう……」

  ……いつまで続くんだ、この手順。目まぐるしく、大盤の上に、黒と白の石が並んでゆき、見ているだけでなんか私、くらくらしてしまった。

  そして、質問者の男性をみて、また私、驚愕。わあああ、こちらもプロ棋士だよー、それも名誉タイトルを持ってらっしゃる方。成程、このひとなら、「井山くん」って呼びかけも当然だ。けど……何だってそんなひとが、一般に混じって、タイトル戦でもない井山さんの対局、見てるんだよお。

  ただ。一所懸命質問に答えている井山さんを見ていて、なんか私、とても微笑ましい気持ちになってしまった。なんていうのか……あどけない。とんでもなく強いんだけれど、こんなこと書いたらとっても失礼な気はするんだけれど、可愛らしい。

 その後、数年、井山さんはどんどんタイトルをとっていって、TVや何かで彼の姿を見ることが多々あり、その度に、印象がちょっとずつ変わっていった。少年だったひとが、どんどん好青年になってゆくのである。勿論、TVの画面で見るだけだから、正確な処は判らないんだけれど、しゃべり方、会話の受け答え、二十代初頭の男性としては、とても丁寧で、もの凄く大人びている。なんか、折り目正しい好青年の見本って雰囲気だった。



  そんで、去年。私は、井山本因坊の“本因坊”攻防戦の取材をさせていただいた。

  会った瞬間、驚いた。

  すでにこのひと、“井山さん”って呼んでいいひとではなくなっている。あどけない、囲碁に一所懸命な少年ではなく、折り目正しい好青年の見本ですら、すでにない。

  貫祿、というものは、こうも短期間に形成されるものなのか。

  人あたりがいい、親切、真面目そう、優しい、そんな処は、まったく変わっていないのに。いや、むしろ、さまざまなタイトルを取り、実際に責任が生じた分、そういう要素には磨きがかかっている感じがするのに。

  囲碁の才能とはまったく違う、人間としての奥行き、大きさ、威圧感というものが、ただごとじゃなかったのだ。目の前に、普通に微笑んで井山本因坊が佇んでいるだけで、もの凄い迫力。

  “士別れて三日まさに刮目して相待つべし”。

 とかって、確かに言うけれど。

  この時私、以前井山本因坊を珍獣扱いしちゃった時と、そっくりな感想を抱いてしまった。「うわあ、生きて動くことわざの見本、見ちゃった」


 井山七冠、七冠達成、おめでとうございます。

 史上初の七冠、それもこんなに若い七冠がでてしまったのだ、これからの囲碁界は、凄いことになるんじゃないかと思う。七冠に刺激されて若手がどんどん台頭してくるだろうし、先輩の棋士方は絶対に井山七冠の連覇を阻もうとするだろう。

 これからの棋戦、とても楽しみにしております。