「あなたは絶対プロになれませんよ」


 昭和30年、高校を中退し、17歳で上京。院生(※1)になるための試験を受けた。現在は14歳までに試験を受けなければ入れない院生制度。当時のルールは少し緩かったとはいえ、18歳で卒業しなければいけない院生に17歳で入るのは、誰に聞いても遅いというだろう。

 「院生師範の杉内雅男先生が、『君にはチャンスが1回しかないし、実力も話にならないから、国に帰りなさい』と言うの。でも私も東京に出てくるときに餞別をもらったり、みんなに応援してもらっているから、そう簡単に帰れない。なんとかお願いして試験碁(※2)を打たせてもらってね」

 対戦相手は当時院生で、子供ながら大人の大会でも優勝する実力があった小西泰三八段。一方の白江は、石川県で5番目くらいの実力だった。

 「みんな私が勝つなんて思っていなくてね。ところがラッキーパンチが入ったんです(笑)。一応形としては勝ったから、なんとか院生になれました。杉内先生も、どうせ私は1年しかいられないから、すぐに出ていくだろうと思って許してくれてね。先生には『あなたは絶対プロになれませんよ』とも言われて、悔しいけどそれが逆に良かったみたい」

 少しでも可能性があると言われたら、それに甘えてしまったかもしれない。だが全く可能性がないと言われたことで、白江少年にはある種の決意が生まれた。1年という短い時間。どうせプロになれないのなら、この時間を懸命に生きるしかない、と。

 「1日10時間位かな。下宿先でひたすら碁の勉強をしました。気が付くと碁盤の上で寝ちゃうこともあったな。神保町に行って、少ないお小遣いの中から、囲碁の全集を買って並べてね。寝ている時間以外は全て囲碁漬けでした」

神様がご褒美をくれた


 白江少年が修業時代にもう1つ行っていたこと。それは誰よりも早く来て、碁盤と碁石、を準備することだった。

 「院生の幹事が5、6人はいたけど、みんな院生研修が始まるギリギリにしか来ない。私は早起きだったので、7時半に行って、まず足つきの碁盤を50面並べる。押入れから出しては並べ、出しては並べ、ってね。それが終わったら碁石、そして時計、時計を置く台と、一生懸命やって、みんなが来る9時くらいになる、という感じだったかな」

 この作業をほぼ1年間、プロ試験を受ける頃までやり続けた。決して囲碁の実力に繋がるわけではない地味な作業をコツコツと。白江の決意のようなものが伝わるエピソードだ。そして神様はそんな白江にご褒美をくれた。最初にして最後の入段試験で合格したのだ。

 「絶対プロになれないと言われたのに、予選から合わせて55勝4敗という好成績を上げてしまってね。自分でも信じられなかったなあ。実力だけではないものを感じたよね」