劣勢を打開したのは2図、黒1、3という勝負手だった。中央で戦っているうちに黒1の一子が絶妙に働き、井山は流れを引き寄せる。差が縮まったあとはじっくりと打ち進めて余の失着を誘い、逆転に成功。持ち前の巧みな逆転術で七冠全冠制覇への最後の砦である十段位への挑戦権を獲得した。

 常識にとらわれない自由な発想で打ち進め、優勢になればそのまま逃げ切る。もし不利になった場合は卓越した逆転術で勝機をつかむ。ものすごく単純に説明すればこのような筋書きで井山は勝ち星を積み重ねてきた。最後になぜ井山だけがこのように優れた技術を身に着けることができたかを考えてみたい。

 このことを読み解くためのキーワードは「世界一」だと思う。

 小学3年生の時、2度目の小学生名人になった井山はインタビューで将来の夢を問われ、「世界一の棋士になりたい」と答えた。慢心することを恐れた石井九段は中国棋院で行われる全国児童囲碁大会に井山を特別参加させる。日本では敵なしの強さを誇っていたはずなのに、中国では5勝4敗という凡庸な成績しか上げられなかったショックは想像以上に大きかった。これ以降、井山は「世界一」を目標に上げることはなくなった。

 もちろん「世界一」になることを断念したわけではない。「世界一の棋士になりたい」という理想と「中国では同年代相手に勝ち越すのがやっとだった」という現実のギャップに打ちのめされたのだろう。「世界一の棋士になりたい」と自分自身が胸を張って語るため、井山はさらに囲碁へ打ち込んでいく。「世界一」という高い理想に自分を近づけていこうという熱望が原動力となり、七冠制覇を目前とするほどの強さを身に着けたのだ。

 平成23年に博賽杯金佛国際囲碁超覇戦、平成25年にはテレビ囲碁アジア選手権で優勝したものの、井山はまだメジャーな世界タイトルを獲得していない。七冠制覇を達成して日本囲碁界の宝となった井山が世界一となり、さらに光り輝くことを心から望む。

参考文献
(※1) わが天才棋士・井山裕太(著者・石井邦生、出版社・集英社インターナショナル)
(※2) 井山裕太20歳の自戦記~史上最年少名人までの17局(著者・井山裕太、出版社・日本棋院)