椅子に座ると碁盤に手が届かないため、立ったまま碁石を次々と打ち込む。そんな6歳の園児が読売テレビの囲碁番組「ミニ碁一番勝負」に登場したのは、平成8年冬のことだった。

 園児は、とてつもない才能を秘めていた。大人たちを次々と打ち負かし、5人抜きでチャンピオンになってしまう。後に囲碁初の6冠を成し遂げる井山裕太は、このときから関西の囲碁ファンの間で知られる存在になった。

 井山は元号が平成に改まって4カ月余り後、共働き夫婦の一人っ子として、大阪府東大阪市で生まれた。幼い頃から身近にあったのは、ゲームとインターネット。井山という〝天才少年〟を育んだのも、この2つだった。

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 「好きなことには、とことん熱中する子でした」。井山の父、裕(ゆたか)(50)と母、宏美は口をそろえる。

史上初の6冠保持者となった井山裕太さん
史上初の6冠保持者となった井山裕太さん
 3歳のときはテレビの相撲中継に熱中し、幕下から横綱まで全力士の顔はもちろん、漢字を読めないのに字の形でしこ名も覚えた。この頃、裕が考案したのが、車で出かける際に前の車のナンバープレートの数字を足したらいくつになるか、という「足し算ゲーム」。夢中になった井山はすぐ3桁、4桁の計算ができるようになった。「ただ、足し算だけで、引き算はできませんでしたが…」

 そんな井山が5歳になると興味を持ったのが囲碁だった。きっかけは裕が買ってきたテレビゲーム。2、3週間でルールを覚え、3カ月後には父を負かすように。アマチュア六段の祖父、鐵文(故人)が指導に乗り出すと、めきめき腕を上げた。

 そこで腕試しに応募した「ミニ碁―」は、井山に運命的な出会いをもたらす。後に師匠となる日本棋院関西総本部所属の九段、石井邦生(71)が番組の解説者を務めていたのだ。

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 「アマ三段の腕前と聞いてばかなと思ったが、すぐに不明を恥じました。手が早く、しかも、ここで考えなければいけないというところでは、ぴたっと手が止まるんです」

 才能にほれ込んだ石井は、井山が小学生になると弟子にする。石井はこの弟子に、囲碁界では型破りといえる指導を行った。

 通常、師匠が弟子と対局するのは1回、場合によっては2回だけ。入門時と、見込みがないと判断して引導を渡すときだという。だが石井は「打って打って打ちまくって育てよう」と考えた。そこで目をつけたのが、普及し始めていたネット対局。まだ幼く、住み込みの内弟子も通いの弟子も難しい井山にはうってつけだった。

 「ネットだと師匠が怖い顔をしても見えないから、伸び伸び打てる。そういう元気な碁が彼の最大の持ち味でしたから」。月に何回かの直接盤を挟んでの指導を含め、井山との対局は千にも及んだ。やがて井山はハンディなしで師匠を負かすようになり、石井はその後、自分の孫に接するように精神面でのアドバイスに重きを置くようになった。

 井山が6冠をかけて棋聖戦第6局に臨んでいた14日午後、石井も対局中だった。対局を終えて快挙を知った石井は「身内のようにうれしい。感無量です」と話した。その表情は、まるで孫を思いやる祖父のようだった。