河合雅司・産経新聞論説委員 
 総務省が発表した住民基本台帳に基づく人口動態調査(3月末現在)によれば、高齢者数が3000万人を突破した。高齢化が進めば死亡者数も増大する。昨年度は126万人だ。

 国立社会保障・人口問題研究所は、団塊世代が80代になる平成42(2030)年には現在比3割増の161万人になると予測する。「多死時代」の到来である。

 いまや8割近い人が病院で亡くなっているが、病院のベッド数は追いつかないだろう。とはいえ、ベッドを単純に増やすわけにもいかない。多死時代とは、病院で死にたくとも死ねない人が増大する時代でもある。われわれは「どこで死ぬか」について、今から考えておかなければならない。

 政府の社会保障制度改革国民会議が出した答えは、「病院完結型」から「地域完結型」への移行だ。大病院に患者が集中する現状を改め、高齢者が住み慣れた地域や自宅で診療や介護を受けられるようにしようというのである。

 国民会議の報告書には「死すべき運命にある人間の尊厳ある死を視野に入れた『QOD(クォリティ・オブ・デス)を高める医療』」という、あまり耳慣れない言葉が登場する。報告書を踏まえて閣議決定された社会保障制度改革プログラム法案の骨子は「個人の尊厳が重んぜられ、患者の意思がより尊重され、人生の最終段階を穏やかに過ごすことができる環境の整備に努める」としている。

 要は、治る見込みがなくなったら、自宅で静かに“その時”を迎えてもらいたいということであろう。死亡者が増える時代においては、「どうやって死ぬか」まで問われているということだ。

 もちろん、すべての人が病院で死ぬことを希望しているわけではない。むしろ多くは「自宅で」と願っているが、それを許さない事情がある。まずは、そこに目を向けなければならない。

 追い立てられるように退院しても、1人暮らしでは闘病生活は回っていかない。かなり手厚い訪問サービスがなければ無理だろう。家族がいたとしても、働いていたり、高齢者夫婦のみで世話をする人がいなかったりするケースは珍しくない。「施設から在宅へ」という政策は理屈では正しくとも、現実が追いついていないのだ。

 どうすべきか。2つ提言をしたい。第1は1人暮らし向けに在宅施設を増やすことだ。新規に造ることはない。空き家や空きマンションが増えているから、これらを再生する。公共事業として低所得者向け介護付き住宅にするのである。患者のほうが集まって住めば、少ないスタッフでも効率的な訪問サービスを実現できよう。

 2つ目は、家族を介護スタッフとして組み込むことだ。これまで介護は女性たちの無償の力で支えられることが多かったが、自分の家族の介護に携わる場合には報酬を支払い、仕事として確立しようというのである。介護で仕事を辞めざるを得ない人の収入の助けになるし、介護労働力不足の解決にもつながる。

 いずれも乗り越えるべきハードルは低くはない。だが、常識を打ち破らなければ、多死時代は乗り切れない。