神田敏晶(ITジャーナリスト、阪神大震災被災者)

 最初に、熊本地震で突然の不幸に巻き込まれた皆さんに追悼したいと思います。それと同時に度重なる止まぬ地震に過度のストレスを感じている人には、一日も早く安静の日がくることを祈ることしかできません。東日本大震災の地震、津波、原発の時には、ボク自身が思考停止というよりも阪神大震災の経験が役に立たないことばかりでした。しかし、今回の熊本地震は阪神大震災の避難所経験が少なくとも似ている気がしている…。20数年前の自宅が半壊し、避難所にいたことを想い出しながら…。

マスメディアのtwitter写真獲得合戦


 あれから20数年経過するが、メディアの報道ぶりに変化はないようだ。いや、むしろ震災の時の報道体制に慣れすぎてきたような気さえする。テレビを見ていて感じるのが、震災翌日から報道がたくさん入り、熊本城の上空からのショットや石垣の崩壊を見せつける。夜とちがって朝になって被害が露見してくるのだ。さらに各局がこぞって被害の一番大きなところへと向かう。これはメディアの習性なのでしかたがない。

 twitter上では、「写真の使用許可をお願いしたいので、DM(ダイレクトメッセージ)を送らせていただきますので、フォローしてください」というやり取りが、震災の写真をアップした人に対して、メディアのtwitter担当者から大挙して送られている…。「ライオンが逃げた」というデマに対しても写真の使用許可を願うものまで現れる。最低限のウラ取りは必要だ。ネットでの空中戦と現場の地上戦とではまったく温度差がある。

被災者と同様に疲弊するメディア


 カメラマンは、常にインパクトのある映像を撮影するようにプロとしてトレーニングされている。時に写真は大嘘をつく…。また、レポーターは粛々と被災された人にインタビューを繰りかえす。当然、震災の規模が大きければ大きいほどたくさんのコメントが取れるので、各局によって重なるコメントは少ない。これは個人個人のコメントがバラバラでも全体として、俯瞰していくとどんな状況かが徐々にわかるようになってきた良い傾向だ。

 また、近年では防災アプリがテレビの警報よりも数秒早く、警鐘を鳴らすので、ほぼリアルタイムにこれから来るであろう地震に対して準備することができるようになった。映像にもアプリの警報音でカメラを回すという体制にもなりつつある。しかし、なぜかテレビの画面を見ていて、違和感を覚えるのが、そこの中でレポートする側のレポーターがインタビュアー化していることだ。
強い地震でホテルのロビーに集まり、テレビを見つめる宿泊客=4月16日午前、熊本市内のホテル
強い地震でホテルのロビーに集まり、テレビを見つめる宿泊客=4月16日午前、熊本市内のホテル
 大変そうな人に「大変ですねぇ…」「大変です…」「今何が一番…?」「うーん、何も頭に浮かびません…」というような受け答えが延々と続く…。そう、震災直後で家を失い、慣れない避難所に集い、余震が続いている状況で、人に何を聞いても答えはないのだ。

 家がない、家に戻れない、家に入れない。そんな苦労を知っている日本人はそんなにもいない。

 日々、戦争が日常化している国の人たちと完全に日本は違うからだ。

 それが突如として何万人もが同時に、「ホームレス」を体験するのだ。当然、1日目より2日目、2日目よりも3日目というように経験値はあがっていくが、同時に疲労困憊度は蓄積していく。普通に、食事があって、何でも買えて、ベッドがあって、安眠できる暮らしが突如なくなるのだ。普通の日本的な国民としての暮らしが、ある日を境に、ホームタウンは被災地、自分たちは突然、被災者の方々と呼ばれる日がスタートするのだ。