震災で家族を亡くした子供にマイクを向けるレポーター。スタジオではタレントが情緒的なコメントを流し、視聴者の涙を誘う。このような災害報道の手法は、被害の実態を知る上である程度は必要だろう。しかし、中にはその意義を疑いたくなるような報道も見られる。報道のあり方について、慶應義塾大学の大石裕教授が解説する。

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 時間の経過とともに被災地以外に向けた情報が目立ち始めるのは、新聞だけでなく、キー局中心のテレビ報道も同じだ。さすがに仰々しい効果音をつけて過剰な演出が目立った阪神・淡路大震災の時と比べれば改善されているが、それでもまだ取材方法などに問題点は残る。
 
 たとえば、3月16日のフジテレビの報道特番では、子供の死亡届を出す一家に密着する場面が放送された。
 
 火葬場でスタッフが「今日はどういったことでいらっしゃったのですか」と声をかける。こうした取材方法に関しては、ネットなどで非難の声があがっている。確かにこの部分だけを見れば、非常識といわれても仕方ない。ただ全般的に見れば、火葬場の現状など被災地の情報を伝えているとの評価もできるので、ニュースとして一定の価値は認められる。ただ、亡くなった子供の中学生らしき姉までにマイクを向ける必要はなかった。
 
 あるいは、3月20日、9日ぶりに80歳の女性と高校生の孫が倒壊した家の中から救出されて、各局は一斉に報じた。
 
 それ自体は捜索の意義を伝えるという点でニュースバリューはある。ただし、その翌日の報道でNHKなどが「少年と父親の了解を得て、医師の許可をもらい時間を限って代表取材」という断わりを入れて少年へのインタビューを放送したが、まだ精神的ショックも癒えていない少年にマイクを向ける必然性はなかったのではないか。
 
 また同じような救助劇でも、震災から3週間後の漂流していた犬を救出したニュースは、報道する価値からいえば低い。ただ目新しいものに飛びついただけで、とても報道すべき出来事だったとはいえないだろう。
 
 このように時間が経過するうちに報道する側も飽和状態に陥る。そこで被災地以外の視聴者を引きつけようとして、キー局のキャスターやレポーターを現地入りさせる手法をよく目にする。確かに被災地外の視聴者にとっては、見慣れた人間が現場をレポートすれば共感を覚えるだろう。
 
 しかし、現場をよく知る地方局の記者をあまり起用せず、被災前の現場をほとんど知らないレポーターが同じような質問を被災者に投げかけることにどれだけの意味があるのだろうか。結局は現場の悲惨さを伝えることに終始してしまい、既存のシナリオやストーリーに落とし込みがちだ。被災者にこういう問いかけをするとこう答え、視聴者はこう感じるだろうという、あらかじめ予測しうる範囲内でしか考えられず、悲しみを前面に出した同じような報道の繰り返しが目についた。

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