五十嵐仁(元法政大大原社会問題研究所教授)


 「ショック・ドクトリン」というのは、「大惨事につけ込んで実施される過激な市場原理主義改革」という意味で、カナダのジャーナリストであるナオミ・クラインが著した本のタイトルです。新自由主義の経済学者ミルトン・フリードマンの「真の変革は、危機状況によってのみ可能となる」という主張に対する批判となっています。

 熊本地震に対する安倍政権の対応を見ていて、この言葉を思いだしました。地震という大惨事につけ込んで、自らの思惑や政治目的に利用しようとしているからです。フリードマンと同様に、安倍首相も「真の変革は、危機状況によってのみ可能となる」と考えているのかもしれません。

 このような政治利用の一つが、前回のブログでも指摘した菅官房長官による緊急事態条項の必要性への言及です。「これは大変だ。何とかしなければ」という国民の気持ちや心配につけ入る形で、緊急事態条項の必要性を受け入れさせようとする狙いだったのではないでしょうか。
 しかし、本当に必要なのは、既存の法律の効果的な運用と政治・行政関係者の的確な行動、方針の提起です。この点で安倍政権は全くの落第であり、失態や失敗を繰り返しています。

 たとえば、東日本大震災のとき菅政権は地震発生の翌日に激甚災害の指定を閣議決定していますが今回は未だになされておらず、当初予定されていた安倍首相や石井啓一国交相の現地視察は中止となり、現地に入った災害担当の松本文明副内閣相は「全避難者の屋内避難」の方針を伝えて蒲島郁夫熊本県知事から「現場の気持ちが分かっていない」と批判されました。自衛隊の派遣についても、知事側は最初から大量派遣を求めていたにもかかわらず政府は2000人しか派遣せず、マグニチュード7.3の大地震が起きてから増派を決定したように後手後手に回っています。

 もう一つの政治利用の例は米軍輸送機MV-22オスプレイの投入です。墜落死亡事故を起こして安全性が不安視されており、ハワイでの事故では開発したボーイング社や政府に損害賠償を求める裁判まで起こされている米軍のオスプレイを丸1日かけてフィリピンからわざわざ呼び寄せました。

 オスプレイは熊本県益城町の陸上自衛隊高遊原分屯地から水や食料、毛布など約20トンの物資を積み込んで南阿蘇村の白水運動公園に空輸しました。しかし、そんな必要性がどこにあったのでしょうか。

 自衛隊にもオスプレイと積載量が同等で容積が多いCH-47Jという輸送ヘリが70機もあるのですから、これを使えばよいではありませんか。離発着するのに広い場所が必要で空中でホバリングして物資をワイヤーで下すこともできない米軍のオスプレイをたった20kmの空輸のために投入したのは、安全性への疑念を和らげて日米同盟の有効性や自衛隊へのオスプレイ導入の必要性を示そうとしたためだったと思われます。

熊本地震 避難所で被災者に声をかける安倍晋三首相=23日午前10時15分、熊本県南阿蘇村(彦野公太朗撮影)
熊本地震 避難所で被災者に声をかける安倍晋三首相=23日午前10時15分、熊本県南阿蘇村(彦野公太朗撮影)
 これについて、中谷元・防衛相は18日の参院決算委員会での日本共産党の二比聰平議員の質問に対し、「米側から協力の申し出があった」と答弁していました。しかし、米海兵隊は16日付の報道発表で「日本政府の要請」に基づくものだったことを明らかにしました。

 中谷さんは、国会での答弁で嘘をついていたことになります。国民に嘘までついて、米軍のオスプレイ投入を求めていたことになります。

 まさに、日米同盟強化とオスプレイ活用という思惑による危機状況への便乗にほかなりません。安倍政権による「ショック・ドクトリン」の発動であり、「惨事便乗型資本主義」ならぬ「惨事便乗型軍国主義」そのものではありませんか。

 さらに川内原発の稼働継続も、「ショック・ドクトリン」の一種ではないでしょうか。かくも大きな地震さえ乗り切れるのだという実例を示すことによって、日本の原発技術の優秀さと安全性を実証しようとしているように見えるからです。

 しかし、それは大きな危険を伴った賭けにほかなりません。19日には熊本県八代市で震度5強、マグニチュード5.5の地震が発生するなど震源は南西方向へと移動し、川内原発からは80キロまで接近しています。

 大きな事故が起きてからでは遅すぎるというのが東日本大震災と福島第1原発事故の教訓ではありませんか。停止しても電気の供給には支障がないのですから、危険性があれば止めて様子を見るというのが当然の対応ではありませんか。

 熊本地震による死者は47人になりました。引き続く「余震」や困難な生活によって避難している人々の不安は高まっています。このようなときには、何よりも不安を和らげ、安心してもらうことが必要です。

 しかし、政府はオスプレイを投入することによって新たな不安を生み出しています。また、東日本大震災のときと同様に、いつ原発事故が起きるか分からないという不安を与えています。

 「現場の気持ちが分かっていない」という蒲島県知事による批判は、安倍政権のあらゆる地震対応に対するものだと言うべきでしょう。安倍政権は自らの政治的な思惑や都合を優先しているために、被災者の気持ちに寄り添った発想や対応が欠落してしまうのです。

 地震のどさくさに紛れ、危機状況や人々の不安を利用して自らの政治目的を達成しようなどという「ショック・ドクトリン」はきっぱりと捨てるべきです。雑念や思惑を捨てて、被災者の救助・救援、安全と安心の回復のために全力を尽くしてもらいたいと思います。

 前回のブログに書いた最後の言葉を、もう一度、安倍首相に言いたいと思います。

 人の不幸をダシにして特定の政治目的を正当化したり達成したりしようとするなどというのは、人間として許されることではありません。被災者のことだけを考え、その救助・救援に全力をあげてもらいたいものです。