常見陽平(千葉商科大学 国際教養学部専任講師)

 「謝罪社会」である。今年に入ってから、政治家、スポーツ選手、芸能人、企業や大学のトップなどによる謝罪が相次いでいる。献金疑惑、不倫、経歴詐称、賭博、消費者からのクレームなど、謝罪する理由も多岐にわたっている。著名人、権力者たちの不祥事に頭にきている人もいれば、何でもかんでも謝罪させる社会に苛立ちを覚える人もいることだろう。

 個人的には、これは相当、問題を切り分けて、丁寧に論じなくてはいけない問題だと考えている。オヤジギャグではないが「誤った謝り方(誤らせ方とも言える)」は、いかがなものかと思うのだ。

我々にはNOと言う権利がある


 前提としては、私たち庶民は政治家にしろ、企業の経営者にしろ、異議申し立てをする、意見を言う権利を持っていると考える。明らかに道義に反することが行われている場合に、NOというべきだ。特に政治は、我々の血税で動いている。我々の投票により成り立っている。だから、政治家の不正に対してNOという権利を我々は手放してはならない。

 消費者としても、特に我々の安全に関わる問題に関しては、NOというべきだろう。お金を払って買った商品によって、命を縮められたとしたならばたまったものではない(もちろん、酒やタバコのように、健康を害することがあることを最初から宣言している商品は別だが)。いわゆる詐称などが行われ、期待していたものを手に入れることができなかった場合も我々は怒っていいと思う。

 1999年に2ちゃんねるができ、その後もブログやSNSなどが普及していく過程でネット発の異議申し立てというものが行われるようになってきた。庶民が物を申す場としてのこれらの場、機会が多様化したという点では、評価できる部分はあることだろう。

 まず、ここでは庶民は政治家や経営者に物申す権利があるということを確認しておきたい。

まず、謝らなくてはならないようなことをするな


 まず、「謝らなければならないことをするな」という前提も確認しておきたい。なんでもかんでも謝罪するのは良くないと思いつつも、ここ数ヶ月の謝罪案件では、謝って当然のものはある。

 「他のみんなもやっているだろ」という批判もあるかと思うが、やはり政治家が闇献金を受け取ってはいけないし、オリンピック代表候補になる選手が闇カジノでギャンブルに興じるのは良くないだろう。前者も後者もルールを逸脱したものだからだ。
違法賭博問題で会見、うつむく田児賢一選手(左)と質問に答える桃田賢斗選手=4月8日、東京・大手町(寺河内美奈撮影)
違法賭博問題で会見、うつむく田児賢一選手(左)と質問に答える桃田賢斗選手=4月8日、東京・大手町(寺河内美奈撮影)
 もっとも、世の中のルールを逸脱した行為を行う際の覚悟を問いたくなる瞬間もある。例えば、不倫だ。これまた、会社でも見聞きするようなドラマでありつつも、いわゆる不貞行為と言われ、民法上は問題となる行為であり、訴訟を起こされると負けるリスクだってある。単なる火遊びから、略奪愛を実現しようとするレベルのものまであるわけだが。発覚してすぐ謝罪というのは、その覚悟がなかったのかと問いたくもなる。芸能人に関しては、メディアやスポンサー筋との関係もあるわけだ。そういうリスクもわかっていつつ、不倫に走るなら、何かあった時に責任をとる覚悟、あるいは開き直って「これは本当の愛だから」と言うくらいの想いが必要だ。

 この春には、CMの打ち切り騒動もあった。表現というものは常に賛否を呼ぶものだ。特に尖った表現などはそうだ。あるCMなどはクレームを受け、簡単に打ち切りが決まってしまった。ただ、言うまでもなく大金を投入したCMである。クレームは折り込み済みだったはずだ。ここは批判を受けようとも、それでもCMを流す意図というものを主張するべきところではなかったか。ただ、それを主張しないということは、このCMを流した企業や、創り手が中途半端だったということだろう。もっとも、打ち切りになることを話題にしようとしていたとしたならば、たちが悪いが。

 このように、そもそも、謝らなければならないようなことをするなということを確認しておきたいし、物事には筋の通し方というものがあるのだ。