倉山満(憲政史家)



私の安倍内閣への態度

 不思議な話がある。

 ある人のところへ陰口を言いに来た人がいる。「倉山満と言う人は安倍晋三さんをなんでもかんでも盲信的に擁護していますよ」と。

 そのある人のところへ、別の人が陰口を言いに来た。「倉山満という人は安倍晋三さんをなんでもかんでも狂信的に批判していますよ」と。

 いずれにしても結論は、「倉山満のような悪い人とは付き合うべきではない」とのことだったそうだ。

 まるで、漢文の授業で習いそうな話だ。「ある人」は困惑したのではないか。その倉山満という人はどんな人なのだろう。極悪人なのは間違いないのだろうが、理由があまりにも違いすぎる。結論は悪い人で構わないが、その理由くらいは正気を保って欲しいものだ。


 さて、その倉山満と言う不思議な人が、この論考の筆者と同一人物かどうかは知らない。私は風の噂など、どうでもいいので。ただし、これだけは言っておく。

 世の中、たいていの場合、「0点と100点しか選択肢がない議論は間違いだ」ということを。

 一例だが、昨年の日韓合意を思い出せばよい。「これまで安倍さんを応援してきたのに、裏切ったな」と感情的に全否定する議論と、「我らが安倍さんのやることだ、深い考えがあるに違いない」と何の根拠もなく盲信する議論の、二択だけが保守論壇にあふれていた惨状を。

 大人の態度とは、「世の中には0点も100点もない。その中間のどこか、1点かも99点かもしれないし、その幅広いどこかに妥当な評価がある。めったに全肯定も全否定もありえないのだから、穏やかに中庸の結論を求めるべきだ」とするものだったはずだ。少なくとも私が知っている、江戸時代以来の我が国の伝統保守とはそういう態度であった。

戦後70年談話を発表し、会見する安倍晋三首相=2015年9月14日午後、首相官邸(酒巻俊介撮影)
戦後70年談話を発表し、会見する安倍晋三首相=2015年9月14日午後、首相官邸(酒巻俊介撮影)
 ところが、「安倍か、否か」の二択では、国会前で太鼓を鳴らしながら踊り狂っている左翼(最近は、特に劣化左翼を指して“パヨク”と称するらしい)と変わらないではないか。少なくとも、パヨクの「アベ政治は全部反対」への反発だけで「安倍内閣のやることは全肯定」では、子供と同じである。

 もちろん、憲法論議でも同じだ。パヨクに批判されているからと、安倍内閣のやっていること、やろうとしていることのすべてを正しいとするのでは、御用評論家と同じである。


 iRONNA読者にどう思われようが、構わない。最初に安倍内閣に対する私の二つの立場を言明しておく。

 一つは、現在の安倍内閣が日本を良くするなどという幻想は、一片も抱いていない。

 そもそも、安倍内閣は「まず経済、そして憲法改正による戦後レジーム脱却」を掲げて再登板した。二年で景気回復し、その勢いで一気に戦後レジーム、すなわち日本を敗戦国のままにさせる体制の本丸である、日本国憲法の改正に切り込むはずだった。ところが、政権樹立から三年、いまだに景気回復はできず、今も財務省と痴話げんかのような戦いを繰り広げている。

 この夏の参議院選挙は否応なくアベノミクスによる景気回復の是非が問われ、憲法改正も選挙結果に左右される。衆議院と同日選挙になるのかどうか、アベノミクスを間違いなく腰折れさせる消費増税を阻止できるかどうか、誰にもわからない。満身創痍の中で首相や側近たちは頑張っているとは思う。戦術的には。

 しかし、「まず経済」にすぎなかったはずのアベノミクスの是非でイイ勝負をしている時点で、戦略的には負けているのである。

 仮に私が、内閣法制局長官の横畠祐介だったとしよう。財務省相手に必死の戦いを繰り広げている安倍首相を脅威に感じるだろうか。しかも昨年の安保法制では、安倍首相は法制局に頼り切りだった。私が横畠長官なら、顔では深刻な表情を装って、腹の中で笑い転げるに違いない。

 断言する。今の安倍内閣には、戦後レジーム脱却に手を懸ける力は残っていない。仮に財務省との権力闘争に勝ってアベノミクスをやり抜き、戦後レジームの牙城である内閣法制局をも制圧したとしよう。ではその後、中国や韓国と戦う力があるのか。ましてやアメリカとは。

 今の安倍内閣に過大な期待を抱くのは、戦時中の「支那事変の展望が見えなくて苦しいから、対米開戦に活路を見出そう」式の議論にしか聞こえない。

 無理なものは無理だと、はっきり言うべきだ。安倍内閣が仮に東京オリンピックまであと四年続いたとしても、こんな調子では戦後レジームは脱却できない。その現実に基づかない議論は空理空論なのだ。


 ただし、もう一つの立場もあわせて宣明しておく。現時点で、安倍晋三ほど日本を悪くしない首相はいない。だから、私は安倍内閣を支持している。

 現に、今次九州大震災での対応を見よ。何の心配もいらないではないか。

 私が公に安倍内閣支持を表明する機会を得たのは、2012年2月だ(『正論』3月号。安倍晋三が憲法改正を旗印に政界再編へ動け、と主張した)。その時以来、私が一度でも安倍首相の悪口を言ったのを聞いた人がいるか。

 そもそも政治とは、「よりマシな選択の連続」である。最近の政治の劣化を前にしては、そのセリフを吐きたくないが、しかし本質は変わらない。

 仮に安倍晋三に何かあった時、代わるべき政治家は誰か。自民党に安倍晋三以上の政治家は、誰がいるか。それとも、政権交代させて岡田克也に譲るか。

 私の立場、「現在の安倍内閣が日本を良くするなどという幻想は、一片も抱いていない」を聞いて絶望するなら、政治に対して関心を持つのをやめた方がいい。ただ、「現時点で、安倍晋三ほど日本を悪くしない首相はいない」を聞いてから考えてほしい。

 政治は「よりマシな選択の連続」であると同時に、「可能性の芸術」なのだ。

 本稿では、現実に基づかない空想的な観念論を排し、現実的な議論を提示する。