浦川和也(佐賀城本丸歴史館学芸員)

司馬遼太郎「佐賀ほどモダンな藩はない」


 「西洋人も人なり、佐賀人も人なり、薩摩人も同じく人なり。退屈せず、倍々(ますます)研究すべし」

 嘉永5年(1852)、薩摩藩は鉄製大砲などを鋳造するための反射炉の築造に着手しました。その際、幕末きっての開明派と謳われた薩摩藩主・島津斉彬は、技術者たちを一堂に集めて、そう激励したといいます(『島津斉彬言行録』所収)。

 反射炉といえば、薩摩や韮山(静岡県伊豆の国市)のものが有名です。しかし、最初に築いたのは、実は佐賀藩でした(嘉永3年〈1850〉)。当時、佐賀藩の大砲鋳造成功を聞いた斉彬は、「佐賀人」を「西洋人」と並べて、「西洋人も佐賀人も同じ人間である。我々薩摩人にできないことはない」と藩士たちに呼びかけ、鼓舞したのでしょう。

 幕末、近代化を推し進めた藩といえば、薩摩藩などを連想する方が多いかもしれませんが、冒頭の斉彬の言葉が示す通り、佐賀藩こそが「近代化のトップランナー」だったのです。

 昨年平成27年(2015)にユネスコ世界遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成要素の中に、佐賀の「三重津海軍所跡」が含まれています。
佐賀県の三重津海軍所跡。昨年、世界遺産に登録された(写真提供:佐賀県)
佐賀県の三重津海軍所跡。昨年、世界遺産に登録された(写真提供:佐賀県)
 その他にも、佐賀市内には、日本で初めて鉄製大砲鋳造に成功した「築地反射炉」や幕府注文の大砲を鋳造した「多布施反射炉」(公儀石火矢築立所)、蒸気機関・写真・ガラスなどを研究した理化学研究所「精煉方(せいれんかた)」など、幕末佐賀藩の「産業革命」の拠点となった場所があります。作家の司馬遼太郎氏も、「幕末、佐賀ほどモダンな藩はない」と、佐賀藩の先進性を評しました(『アームストロング砲』〈講談社文庫〉)。

 ではなぜ、佐賀藩は他藩に先んじて近代化を成し遂げることができたのでしょうか。それはまず、10代藩主・鍋島直正の先進性、マネジメント力、リーダーシップを抜きには語れませんが、ここでは佐賀藩の歴史と、置かれた環境を紐解きながら、「近代化のトップランナー」となった背景を紹介していきましょう。