田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授)

 舛添要一都知事の政治家としての資質に批判が殺到している。批判の共通点は、舛添氏の“消費の有り方”にある。都市外交に伴う過剰な数の随行員、豪華な宿泊先や交通手段の選択、そして最近では政治資金を利用した家族旅行への疑惑まで報道されている。税金と政治資金という“公金”がその派手な消費のあり方を支えている。世論はもちろんのこと、有識者の多くやメディアの批判も厳しいものがある。
舛添氏は登庁時に報道陣に囲まれたが、わずか数年前の正月の「家族旅行」の有無も答えられなかった=5月11日、都庁
舛添氏は登庁時に報道陣に囲まれたが、わずか数年前の正月の「家族旅行」の有無も答えられなかった=5月11日、都庁
 あるテレビ番組に生出演した舛添氏は政治資金の家族旅行への流用を追及され、自らの政治家としての資質を謙虚に反省する旨を述べたが、その言葉を支える行動がどうなるのか、その具体的な形はまったく見えない。また世論の批判も衰えることがない。

 舛添氏の税金を利用した豪勢な消費は、経済学では「見せびらかしの消費」(誇示的消費)として知られるものだ。異能の経済学者、ソースティン・ヴェブレンが『有閑階級の理論』(1899年)に提示した考え方だ。この書籍の表題になっている有閑階級とは、自分は生産に一切貢献せずに、合法・非合法を問わず、自分の既得権益に基づいて、世間に対して影響力を与えようとする階級のことである。舛添氏のような政治的既得権(知事や国会議員などで得た収入や権力)を所持している人物は、ヴェブレンのいう有閑階級の代表といえるだろう。

 ヴェブレンはこの有閑階級が、「見せびらかしの消費」を強力に行う人たちであると指摘した。自分に必要なものを消費するのではなく、他人に見せびらかし、自分の社会的ステータスを認知させること自体が快楽になるのである。舛添氏の濫費のありさまをみていると、このヴェブレンの指摘そのものであろう。

 このヴェブレンの「見せびらかしの消費」は、デフレ的な経済においてきわめて重要な意味を持ってくる。デフレ的な経済というのはいわば経済の大きさが一定か、もしくは縮小している状態である。パイ(経済の大きさ)が一定にしかならないのであれば、そのパイをいかに分けるかに、人々の関心が集まるだろう。このようなデフレ的経済が続くことは、「舛添的」な有閑階級の人々にとっては絶好の機会になる。経済状況が悪い中でも、自分の方が他者に比べてより多くの権力や社会的ステータスをもち、それゆえにこのような贅沢で無駄な消費を行えるのだ、という見せびらかしは、この種の人々の極上の快楽になるのだ。