覚醒剤の所持と使用容疑で逮捕起訴され、現在保釈中で入院している元プロ野球清原和博被告が、病院を取り囲む報道陣に差し入れた焼肉弁当が話題になった。原則的には取材相手から食事の提供などを受ける「供応」は、この世界では御法度だ。今回もそれに当たるのか。メディアに従事する記者たちに聞いた(取材・文=フリーライター・神田憲行)

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 差し入れられた焼肉弁当は約30個で、スポーツニッポン紙の記者が食べてレポート記事を書いた以外は、ほとんどの記者が手を付けなかった。その後3月23日の東京スポーツ紙の報道によると、この弁当は清原本人ではなく知人の手配だったという。バカバカしいイタズラだったわけたが、「取材対象からの供応」を考えるきっかけだと思う。

 そこでメディアに携わる友人たちに、「清原本人からの差し入れ」という前提で、焼肉弁当を食べるか食べないか、理由も訊ねてみた。取材対象者から供応は受けない、というのが記者の大原則である。今回もそれが適用するのか。

 結果はすぱっときれいに別れて、新聞社など組織ジャーナリズムに属する人たちのほとんどが「食べない」というもので、私のようにフリーランスで働くほとんどが「食べる」というものだった。

「食べない」派の典型的意見が、この60代男性全国紙記者の意見だ。

「その場にいたら食べないと思います。新聞記者になりたての頃、一年上の先輩が、カツ丼ひとつでも取材先におごられたらおごり返すこと、と教えられたからです。新人記者に言われたことは不思議なくらいよく覚えていて、励行する癖がある。ただ、雑誌記者だったら、食べた味を記事にしようとするかもしれない。あらゆることをネタにする、それもありだと思うから。それでもお金は置いてくるのではと思う」

(写真と記事は関係ありません)
(写真と記事は関係ありません)
 他にも、こうした声が聞かれた。

「おそらく食べない(受け取らない)。貸し借りはつくらない、と言われてきたし、自分もそうすべきだと思うので」(50代全国紙男性記者)

「食べませんね。取材対象者との関係の中で、奢られるのは困りますから。といっても、仲良くなった人と個人的に飲みに行くときには奢ってもらったこともありますが。もちろん、取材上の関係が終わった後のことです」(30代全国紙女性記者)

「興味はあるけど、やっぱり食べられません。どうしても食べる必要があるなら、清原本人に弁当代を支払うか(受け取りは拒まれると思いますが)、それが受け取られた場合か、同じ弁当を自分で購入するべき。きれいごとかもしれませんが、刑事被告人から供応を受けるのは、許される社会儀礼の範囲を越えています」(40代ブロック紙記者)

「食べませんが、蓋を開けて中身は見ます。食べない理由は、負の側面を取材している対象からの差し入れに手をつけるわけにはいかないということです。蓋を開ける理由は、好奇心です。清原からの差し入れだとして、どんなものを差し入れてきたのか。その弁当から、彼の媚びなのか虚栄心なのか優しさなのかが伝わってくるかもしれないので」(40代経済誌男性編集者)

「食べない。記者は貸し借りなしの状態で取材するからこそ記事に信頼性が担保されると考えるためで、今回弁当を食べることは『貸し』が生じてしまうため」(30代全国紙男性記者)

「自分は食べません。取材対象が、刑事事件の被告となれば買収を疑われるような行動は厳に慎むべきだと考えます。清原被告をヒーローに祭り上げてきたのは、ほかでもないマスコミです。彼がスターに駆け上がり、また転落していった一連の流れの中には、ある意味マスコミとの共犯関係があったのではないかと自戒すべきだと思います。もっとも、弁当を食べて伝えるのも、その記者や所属するメディアの切り口であり、その記者個人を責めようとは思いません」(40代全国紙男性記者)

 自分は食べなくても、食べる人を批判はしないという人が多い中で、40代スポーツ紙デスクはこう憤る。

「食べない。取材対象に借りは作らない。作ると筆が鈍る。例えば食事をごちそうになったら、同額の贈り物をしています。その辺はしっかり線引きしています。『スポニチ』の記者が食べたことで、スポーツ紙記者がみんなクレクレ体質と思われるのが心外です。『スポニチ』の罪は大きい」

 また20代男性のテレビ局ディレクターも、

「食べない。少しでも相手に借りや弱みを作ると、本気で取材できないためです。批判はしませんが、食べる方たちは取材者との距離感を意識できていない方なんだなと思ってしまいます」

 と、なかなか手厳しい。