岡部伸(産経新聞ロンドン支局長)

 1904(明治37)年2月に始まった日露戦争は、翌年5月の日本海海戦での連合艦隊の勝利で大勢が決した。欧米を驚かせたのは、その大勝利が極東の開国したばかりの非白人小国によって達成されたことだった。「日本は鎖国を解いて50年、海軍をもって10年で早くも世界一流の海軍国になった」(米『ニューヨーク・サン』紙)。しかし、「皇国の興廃この一戦にあり」とZ旗を掲げて勝利した背景に「大英帝国」の存在があったことはあまり知られていない。日本海でロシアのバルチック艦隊を撃破して世界史に残る大偉業を達成した連合艦隊旗艦「三笠」をはじめ日本艦艇の9割が英国で製造され、当時最高級の英国産「カージフ炭」を燃料とするなど英国が少なからぬ側面援助をしていたのだ。世紀の勝利は帝政ロシアと覇を競った英国によって支えられていた。

 「三笠」の故郷である英イングランド北部のバロー・イン・ファーネスを訪ねると、一世紀前の日英交流の想い出と「三笠」を建造した誇りが今も語り継がれていた。それは干戈を交えた先の大戦中も変わることがなかったという。

語り継がれるMIKASA


 ロンドンから電車で5時間。アイルランド海に面したバローは造船の町だ。沖合に自動車レースで有名なマン島。近くには「ピーター・ラビット」の作者、ヘレン・ベアトリックス・ポターが創作活動を行なった湖水地方のニア・ソーリーがある。

 19世紀後半から20世紀初頭、世界で最初に産業革命に成功した英国が世界の工場だった時代に、バローは造船会社「ヴィッカース」の企業城下町として発展した。現在は、「ヴィッカース」を引き継いだ防衛航空宇宙企業「BAEシステムズ」が原子力潜水艦を建造して英国における安全保障の一端を担っている。

 「三笠」は1899(明治32)年、最新戦艦として起工され、1900(明治33)年11月進水した。市内のカンブリア公文書館には、進水式の写真と地元紙の挿絵などが保存されている。駐英日本大使が出席した進水式には、数多くの地元市民が参加して熱烈な声援を受けた。地元紙には「アジアの最新興の列強国日本の発注を受け、最大の戦艦を建造したことは、英国さらにバローのヴィッカースの誇り」と記されている。

 百年余を経て、「三笠」を誇りに思う市民の気持ちは現在も変わらない。

 街の対岸のウォルニー島に、造船従業員の社宅が立ち並ぶ「ヴィッカース・タウン」がある。通りの名前は同社が建造した船名から名付けており、その一つ(約50m)が「MIKASA ST」と命名されている。「三笠」が建造された1900年に名付けられたのだが、以来116年間、日英が戦った第2次大戦中も名前を変えていない。
バローの「MIKASA STREET」(写真:筆者、以下同)
バローの「MIKASA STREET」(写真:筆者、以下同)
 一般的な道路で、命名の由来を記した記念碑もない。玄関の壁に「MIKASA ST」と書かれた通りの発端の「ミカサ・ストリート」56番地に住むウィリアム・ヒギンソンさんは、40年間ヴィッカースで造船工として原潜などを造った。「ミカサ」を「マイカサ」と発音して、「先輩が偉大な戦艦を造ったことを誇りに思う。ロシアを負かしたから。マイカサは私たちの歴史」と述べた。