【三ちゃん独白】めちゃイケに必要なのは僕の「復帰」なんです(笑)

『iRONNA編集部』

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三中元克(お笑い芸人)

 2010年秋にナインティナインさんのバラエティー番組「めちゃ×2イケてるッ!」の新メンバーオーディションを受けたのは、子供のころからめちゃイケが好きで、中でも岡村隆史さんの大ファンで尊敬していたからです。

 小学生のときからめちゃイケの人気はすさまじかったんですよ。地元の大阪の友達は全員見ていました。中学時代にやっていた人気コーナー「数取団」が面白くて、学校でみんな真似していましたね。週明けの月曜日はまず、めちゃイケの話から始まるのが当たり前でした。
 だから物心ついたころから、お笑い芸人になりたいって本気で思っていて、岡村さんみたいにお笑いで多くの人を感動させることができるようになるのが夢でした。小学校の卒業文集にも将来の夢として書いたぐらい。僕の原点はめちゃイケなんです。
 2001年からロバートさんやキングコングさんらが出演していたお笑いバラエティー番組「はねるのトびら」が始まり、そっちの方が面白いって言う友達もいましたけど、僕は絶対めちゃイケの方が面白いって力説していました。
 高校3年の夏休みに同級生3人で、アルバイトで貯めた6万円を持って東京旅行に行きました。当時お台場でやっていたフジテレビのイベント「お台場冒険王」のめちゃイケブースで番組関連グッズなどを買い漁って5万円ぐらい使ってしまったんです。2日目目のディズニーランドでは何も買えませんでしたが、目的はめちゃイケブースだったので大満足して帰りました。それぐらいめちゃイケが好きだったんです。

 本気でお笑い芸人を目指したのは高校時代です。ただ、通っていた高校の進路指導の先生に相談したら、一度はちゃんと就職しないさいと言われ、お金もなかったので納得しました。
 当初は吉本興業のタレント養成所「NSC」の大阪校に行くつもりでしたが、実家からだと甘えてしまうし、中途半端な気持ちでは親を説得できないだろうと思って覚悟を見せたかったんで、東京でやろうと決めたんです。卒業後は棚の製造会社に就職しましたが、1年間で辞めました。入社前の面接で「一生働きます!」なんて言いましたけど、最初からまとまったお金が貯まればすぐに上京しようって決めていたから。
運命を感じたオーディション

 1年間で45万円ぐらい貯まったので、翌年に会社を辞めて上京しました。食べることに困らないよう、レストランとかファストフード店とか、飲食店ばかりでアルバイトをしましたね。
 最初にめちゃイケとの関係ができたのは、上京から3か月半ほどたったときでした。携帯電話でアルバイト情報を見ていたら「あの人気番組で働ける」と書いてあったので、もしや!って思ったんです。絶対めちゃイケか「はねるのトびら」だろうって。応募締め切りはその日の午後5時、時間をみたら午後4時。猛ダッシュしてギリギリ最後に受け付けてもらったら、仕事はやっぱりめちゃイケだった。帰りの電車の中で採用の連絡がきて、もうめちゃくちゃうれしかったですね。

 そのアルバイトは「お台場冒険王」の後継だったフジテレビのイベント「お台場合衆国」で、めちゃイケのブースでした。「矢部家の牛丼」という、矢部浩之さんのお母さんが考案した肉の代わりにタコさんウインナーをのせた丼を作ったりしていました。憧れのめちゃイケに関わる仕事ができて本当にうれしかったですね。

フジテレビ夏の恒例イベント「お台場合衆国」
 大きな転機が来たのは、めちゃイケメンバーのオーディション実施が発表されたその年の9月。上京した年だったことに加え、アルバイトもした後ですし、何か運命のようなものを感じてオーディションに参加しました。

 でも当日会場に行ったら8千人ぐらい集まっていて、こりゃだめだって思ったのを覚えています。もう思い出づくりにでもなればと参加して、最初は○✕クイズで一度は落ちたんです。だけど運がよかったんですよ。あまりにも落選者が多かったので敗者復活になり、それで勝ち残ることができた。30秒の自己PRに進んだときは、事前にあれこれ考えていたけど、いざ面接になると、目の前に加藤浩次さんや濱口優さんらがズラリといて、頭は真っ白。「お台場合衆国」でアルバイトしていたことしか言えませんでした。もうだめだと思っていたけど、濱口さんが僕のことを「気になるわぁ」、「素人中の素人が来たなあ」って言ってくれて、目をつけてくれたんです。

 オーディションで選ばれてからは大変でした。岡村さんや加藤さんらは僕とは親子ぐらい年も離れていますし、収録前なんかはどんな話をすればいいのかまったくわからない。憧れの岡村さんと一緒に仕事ができるうれしさや楽しさ以上に不安ばかりでした。もし、岡村さんと絡んでスベッたらどうしようとか、もちろんめちゃイケには素人として出ていたので、メンバーやスタッフの方々から「期待せんから大丈夫やで」って言われてましたけど、やっぱり岡村さんの前では面白いやつでありたかったですからね。

 岡村さんは、収録前はほとんどしゃべらないとか聞いていたけど、実際は違いますよ。現場ではメンバーのみなさんとよく話しているし、僕が楽屋にあいさつに行ったときも「三ちゃんおはよう」って返してくれます。よい意味で、ぜんぜん違うんだとわかりました。

 それから岡村さんみたいになりたいって簡単に思っていたけど、当たり前ですが、まったく及ばないことも実感しました。昨年の「27時間テレビ」で岡村さんが1時間ダンスを続ける企画があって、その当時は「ライザップ」で鍛えていたのに、ダンスの練習も同時にやって、クタクタの状態で本番に臨むんです。それでも完璧にやりこなして。本当のスターはこういう人なんだって圧倒されて、鳥肌が立ちましたね。
めちゃイケに必要なのは「三中の復帰!」(笑)

 
 僕に対して厳しいときもありましたけど、とても深い愛情もあったと感じました。岡村さんは「芸人はカメラの前で感動の涙を流してもいいけど、あまり簡単に涙をみせちゃいけないよ」と指導してくたことがありました。それから「心」という漢字にタスキをかけると「必死」の「必」になるって言われて、「三ちゃんが1週間や2週間で劇的に面白くなることはないから、とにかく一生懸命やればそれが伝わって、必ず認められるから」とか、すごくいろんなことを教えてもらいましたよ。

 結果的に視聴者が参加するめちゃイケの再オーディション「国民投票」で不合格だったことは悔しいし、残念です。めちゃイケの20周年を一緒に迎えたかったですから。スペシャル番組を見たりしていて寂しいなって思いました。それが本音です。

 めちゃイケという番組自体の魅力は、僕の子供時代と何も変わらないと思いますよ。自主規制なんかが厳しくなる中で、まだまだ攻めている番組の一つでしょう。加藤さんの義理のお父さんが亡くなって、そのお墓の前でパロディやるとか、視聴者から「不謹慎だ」なんて言われるかもしれないことをやったり、めちゃイケがすごいのは「やっちゃいけない」ギリギリのようなことにチャレンジするところだとずっと思っていますから。そんなめちゃイケは今後もずっとこれまで通りに、めちゃイケらしさを大切にして続いてほしいですね。

 めちゃイケの視聴率向上のために何が必要かと言えば、そりゃあ「三中復帰!」でしょう(笑)。冗談ですよ。絶対に冗談ですよ。

 でも、めちゃイケを卒業になって思うのは、やっぱり僕はめちゃイケみたいなことやりたいし、芸人として目指しているのはナイナイさんです。だから高校時代の同級生とやっているお笑いコンビ「dボタン」で、僕は岡村さんみたいになりたいし、相方には矢部さんみたいになってほしいと思っています。

 将来については、本当におこがましいことだと分かっていますが、めちゃイケを卒業になったので、自分自身でめちゃイケのようなものを作ればいいじゃないかと思っていて、舞台なんかで挑戦していきたいですね。(聞き手・iRONNA編集部、川畑希望)


さんなか・もとかつ 1990年7月24日、大阪府生まれ。大阪府立今宮工科高校(大阪市西成区)卒業。2010年10月、フジテレビのバラエティー番組「めちゃ×2 イケてるッ!」の新メンバーオーディションで素人枠から合格し、レギュラーメンバーとして出演。今年2月に視聴者参加型の再オーディション企画「国民投票」で不合格となり、降板した。現在は、よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属のお笑いコンビ「dボタン」のボケ役として活動している。

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