ヴィターリー・ポルトニコフ(政治分析家、ニュースキャスター)

初めての広島と新たなる戦禍の現代へのメッセージ


 私は2015年11月14日、初めて広島の地を訪れた。

 広島を訪れる旅行者のほとんどが最初に足を運ぶのは、平和記念資料館と平和記念公園ではないだろうか。平和記念資料館は、1945年8月6日に広島で起こった出来事を強く想起させるものであるからだ。
 大量殺戮の記録を留める世界のあらゆる記念館と同様に、平和記念資料館は「永遠」であり、なぜ、人類は、あらゆる大惨事、原爆による惨劇からさえも、何の教訓を導き出そうとしないのかと常に私達に問いかけている。

 広島の悲劇から70年が経過した。しかし、戦争は、今日もクラウゼヴィッツ(※1)の言うところの「戦争とは他の手段をもってする政治の継続」である。今日も、核兵器ではない「通常の」、しかし最新鋭の兵器による空爆で「核兵器規模の損失」を与えるべきかどうかとの議論がやむことはない。

 今日、ウクライナで、再び、幾つもの都市が破壊され、人々が家族を失い、多くの血が流されるようになった。私は広島の悲劇を今までとはまったく異なった視線で見るようになったのである。屈託なく平和な世の中で生きる者の視線ではなく、常に戦火と隣り合わせ、新たなる戦禍の予兆の中で生きる者としての視点でである。

広島を見ても悔い改めない世界


 だからこそ、平和資料館を訪れてから、私の疑問は日増しに大きくなるばかりなのである。広島のような悲劇が起こってしまった後になっても、何故、人類は悔い改めることができないのであろうか、何故、今日も武力による侵略行為は日常的に起こっているのだろうか?

 もちろん、広島に居るときだけ、このようなことを考えるのではない。しかし、悲劇の地・広島では、このような考えは、特に切実なものとなる。

 平和資料館の記帳アルバムの写真を見る限り、メッセージを寄せた著名な政治家たち、つまり、国際社会で意思決定を行った人々、または現在も行っている人々は、皆、この悲劇を悼む顔をしている。ここで私は再び思う。原爆により一つの都市が壊滅した事実に思いを馳せるとき、血の通った人なら誰でも感じるであろう深い悼み、個人のレベルでの悲しみは、なぜ、戦争を断じて回避するという、集団としての意志へと結実していかないのだろうかと。しかも、今日、戦争はもう中世の剣での戦いや20世紀の戦闘機の空中戦や戦車戦ではなく、あらゆる人を一瞬にして殺害するような容赦ない死刑宣告と化しているのである。

 しかし世界は、いつものごとく、言い訳のようなことを言い始めている。

 「世界を滅亡させることができるものこそが、世界を救うのである。武器として使うためのものではなく、抑止力の為のものなのだ」という考えだ。私たちは、皆、「私たちが住んでいるのは決して死刑囚の監房などではない。『この世を唯一、絶滅から救うことができるのは、良識ではなく原子爆弾である』とする世界に生きているのだ」という希望のようなものの中に生き続けている。実に奇妙な世界である。1945年8月6日の原爆投下の後、一体、世界はどのような姿になることができたのであろうか?