古谷経衡(著述家)



一連の朝日新聞による誤報問題の本質とは?


 今年8月5、6日の朝日新聞による「慰安婦検証記事」から始まった朝日誤報に関する”事件”が、いよいよ「吉田調書」記事の取消しを含む、朝日新聞・木村伊量(ただかず)社長、杉浦信之編集局長ら首脳陣による緊急記者会見という前代未聞の事態に発展した。1989年の珊瑚礁損壊捏造事件以来、実に四半世紀ぶりに明るみになった「世紀の誤報」の連発に、朝日内外で激震が続いている。

 木村社長による記者会見の生放送は、9月11日19時半から開始され、21時20分に終った。

 この中で、「東日本大震災4日後の2011年3月15日朝、福島第一原発にいた東電社員らの9割にあたる約650人が吉田所長の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発に撤退した」とした「吉田調書」に関する記事について、杉浦編集局長は「当時、朝日新聞が独自に入手した吉田調書は、当時機密性の高いものであって、よって眼に触れる記者を原発事故報道に従前から従事している専門性の高い記者ら少人数に限定し、そのことが記者の思い込みと、チェック不足を招いた」と釈明した。

 特に注目したいのは、つめかけた報道陣からの以下の質問である。朝日首脳陣に対する辛辣な質問の中でも”「吉田清治証言(慰安婦問題)誤報」を含めて、今回の吉田調書の誤報問題は、「朝日新聞が抱える構造的問題に依るものではないのか?」”との声が出たことだ。

 木村社長は「(今回の誤報問題)が、一部の記者の資質によるものか、社が抱える構造的問題なのか、今後精査していきたい」という趣旨の回答を行った。これこそが今回の一連の誤報をめぐる問題の本質を指摘したものであると私は考える。

 杉浦局長が会見で明言した、吉田調書の記事に携わった記者が、”原発事故報道に従前から従事している専門性の高い少数”だった、という部分が示すとおり、この問題は「一部の質の悪い、粗悪な記者による落ち度」ではなく、寧ろ逆の、「専門性を有する少数精鋭の記者ら」によってもたらされた誤報である、という事実である。これは何よりも、朝日新聞の構造的問題がこの一連の誤報問題の根幹にある、と考えて間違いはない。

朝日新聞の構造的問題点とは”願望”である


 ではその「構造的問題」は何か。それは「原発事故では現場ですら収拾がつかなかったに違いない」(吉田調書)、「日本軍は悪いことをしたに違いない」(吉田清治慰安婦証言)、という、記者が有する特有の”願望”の存在にほかならない。

 会見の質疑応答部分では、産経新聞の記者が「記事の方向性は既に決まっていて、それに沿った、都合の良い記事を書いたのでは?」という、問題の本質に関する質問が飛びだした。これについては「そのようなことはない」と朝日首脳陣による否定があったが、厳しい言い訳のように映る。

 ここでいう”記事の方向性”とは、既に述べたように「現場の職責を放棄して、作業員が撤退した」(吉田調書)と、「日本軍が悪辣非道な犯罪行為を、組織的に植民地(朝鮮など)で行った」という既定路線であり、正しく「そうであって欲しい」という記者らの”願望”である。

 これらを朝日首脳らは「記者の思い込み」と表現したが、「思い込み」という言葉には多分に「過失」というニュアンスが混ざっている。

 例えば「単なる流れ星だが、さもUFOのように見えた」は「思い込み」だが、「単なる流れ星かもしれないが、あれはUFOに違いない」というのは願望である。どちらも誤認・誤報には違いないが、後者のほうがより強く観測者の「意図」が働いている。

 この意図の部分は、「思い込み」ではなく「願望」と表現されるのが正確だ。吉田所長と吉田清治の証言の両者の誤報記事に共通するのは、この「願望」の存在に他ならない。

”願望”が招いた誤報と歴史的悲劇


 どんな報道機関でも、願望に基づく「誤報」は存在する。現在、この件で朝日を激しく叩いている産経新聞は、例えば2012年7月16、17両日に開催された陸上自衛隊第一師団の統合防災演習に際して、「東京都内の11区が(同演習への)協力を拒否した」とする記事を掲載した。

 が、当該区役所などから事実誤認と抗議を受け、2012年7月25日付けで記事の撤回と”おわび”を掲載した。この件についての詳細検証記事はこちらを参照されたい。

 これは当該記事を担当した記者が、「当該区役所の職員らには、反自衛隊思想の持ち主が居るに違いない」という”願望”を元にした観測記事であったことは疑いようもない。

 願望に基づいた事実の観測は、産経だけではない。人間は誰しも、事実を願望で捉え、己の都合のよいように脚色する。「あの娘は自分のことが好きに違いない」という願望の中では、何の意味もない女性の一挙手一投足が、まるで自分への好意へのアピールと感じるのと同じように。

 作家の半藤一利は、著書『ソ連が満州に侵攻した夏』(文藝春秋)で、日ソ中立条約を一方的に破って1945年8月9日にソ連が対日参戦した状況を、「政府・大本営の”願望”が招いた悲劇」と厳しく論評している。ソ満(満州)国境付近に向けてナチスを打ち破ったソ連軍部隊が対日参戦のために次々と抽出され、配備されているという前線からの偵察報告を一切無視し、政府・大本営は「ソ連が日本に宣戦布告することは無い」と判断した。

 当時、マリアナ・沖縄が次々と米軍の手に落ち、最後の同盟国であったナチスも降伏。それに加えソ連参戦は、「日本の死」を意味していた。「(ソ連参戦は)あって欲しくない」「(ソ連参戦に)なっては困る」という日本の戦争指導者の願望が、ソ連軍への防御を怠ることになり、満州へのソ連侵攻、続いて起きた残留孤児の問題を惹起する悲劇の結末を迎えた。

 或いは、1944年10月には、台湾沖に接近した米機動部隊に対して大打撃を与えた、という所謂「台湾沖航空戦」をめぐる大戦果報道があった。既に劣勢に立たされていた政府・大本営による「(米軍に)打撃を与えたい」「(米軍に)一矢報いているに違いない」という、貧すれば鈍するの”願望”に基づいた大本営発表を、新聞各社がそのまま一斉に報じた「世紀の大誤報」であった。実際には日本軍機は一方的に米軍に撃ち落され、米機動部隊の損害は軽微であった。

 願望の前では、事実は往々にして無視され、脚色される、という歴史の教訓である。

単なる”思い込み””取材不足のミス”で終わるな


 今回、朝日新聞は「記事制作にあたった記者が少数であり、かつチェック体制が甘かった(杉浦編集局長)」として、「吉田調書」の誤報原因は、「(一部記者の)思い込み」によるものとして、あくまで「過失的なもの」というニュアンスを強調した。しかし、これは間違いであり、「思い込み」などではなく、取材した事実を知りながら、それを都合のよいように脚色した「願望」の結果であると断定せざるを得ない。

 朝日新聞の一部記者の取材力が足りなかったとか、能力が低かった、というのが原因ではない。「吉田調書」(原発事故)、「吉田証言」(慰安婦誤報)は”願望”を元にした事実の観測が引き起こした”誤報”である。

 杉浦編集局長は、「吉田所長の周辺や、原発作業員関係者への聴きこみ取材は行ったものの、吉田所長の証言を裏付ける証言は無かった」と今回の記者会見で回答している。これはその事実が存在しないにも関わらず、”願望”による筋書きを優先して、事実を都合の良いように脚色した何よりの証拠である。

 「吉田調書」に関しても、「吉田清治」に関しても、当然「天下のクオリティペーパー」朝日新聞の記者が、全く裏付け取材なしで、記事に書き起したとは考えられない。「原発事故に精通した記者」による取材の結果、それらが根拠に乏しいものであることを予め分かっていたに違いないはずだ。しかしその事実は、”願望”の前に消し飛んだのである。

 朝日新聞は、今回、読者の信頼だけではなく(かくいう私も購読者だが)、誤報に基づき世界から日本の評価が貶められたという事実を重く受け止め、この二つの大きな誤報問題を「一部の記者のミス」などではなく、「願望で事実を観測した結果の構造的問題」であると認め、信頼回復・再生への一里塚とするべきである。