健康だの清潔だのと騒ぐのは〝ほとんどビョーキ〟だよ

『コンフォール』 愛煙家通信 No.14 2015年秋号

読了まで18分

山本晋也(映画監督)



撮影 淺岡敬史


吉永小百合と刑事コロンボ


 ぼくらが幼い頃、親父といえばタバコの匂いがするものでしたよね。日本映画を観ていても、1960年、70年代くらいまではお父さんたちやサラリーマン連中はみんなタバコを吸っている。飲み屋のママさんなんかも粋に吸っています。淡路恵子さんなんて、タバコが実によく似合う方でしたね。あの頃の女優さんでタバコが似合わないのは吉永小百合さんくらいだったんじゃないかな。彼女が演じた『キューポラのある街』のあの清純な少女がタバコをくわえていたらおかしい(笑)。

 逆に、クリント・イーストウッドや刑事コロンボが葉巻をくわえていなかったらサマになりません。コロンボなんて、鑑識が働いているのを横目で見ながら殺人現場で葉巻を吸っている。あんな警察官、いないと思うよ(笑)。でも、それがキャラクターとして決まっているんだね。

 ぼくはNHKの朝ドラ『私の青空』(2000年)に築地の氷屋の社長役で出演していたことがあるんだけど、「こういうオヤジだったら、こういうときにタバコ吸うんじゃない?」ってディレクターに言ったんです。気に入らない客が来たときに、タバコに火を点けて相手の顔を見ながらすぐにもみ消す。「わるいけど忙しいんだ、帰ってくんねえかな」というセリフがそこで生きる。吸い方一つで性格まで表現できるタバコは非常にいい小道具なんです。

 それが、いまテレビドラマでは喫煙シーンはまず出てこない。主人公がタバコ吸っているのはどういうわけだって、すぐ抗議の電話が来るから。いまの世の中、クレーマーだらけだしね。そりゃあ民主主義の国だから、どんな意見があったっていいけど、問題になるような脚本(ホン)のほうが世の中にアピールするから商売にもなるでしょう。ドラマ一本で一般常識をひっくり返すようなことだってできる。何か問題が起こったら困るからって、無難なものばかりつくっていても面白くないと思うけどね。テレビの人間もサラリーマン化してしまっているのかもしれないけど、そういう人はあまりクリエイティブな仕事には携わらないほうがいいよ。

 喫煙所に行くと半数近くは女性ですね。昔はタバコを吸っていることを知られたくないっていう女性が多かった。社会でバリバリ活躍する女性が珍しかった時代は、タバコを吸っていると、いいところのお嬢さんじゃなくて、水商売の女のように見られるっていう、差別みたいなものがありましたからね。

 当時、タクシーの運転手から聞いた話だけれど、丸の内のOLが乗って来て、東京駅周辺をグルッと一周してくれって言うんだって。そのあいだにタバコを一服して、それですました顔でまたオフィスに戻っていく。タバコ一本吸うのにワンメーターちょっとの料金を払うんだ。男女雇用機会均等法(1986年施行)の前のことだけど、いまのタバコ代に匹敵するくらい高くついたでしょう。でも、いまはタクシーもほとんど禁煙だから、もうこの手は使えないね。
日本は平和だよ


日本は平和だよ


 今年(平成27年)のタバコの予想税収は2兆940億円ですよ。一方、防衛費は5兆911億円だから、軍事予算の半分弱をタバコの税金でまかなっている計算になる。日本は平和だってことですよ。

 そういう数字の比較で言うと、ぼくらが昔やっていた深夜番組『トゥナイト』(テレビ朝日。1980~94年、『トゥナイト2』94~02年)で取り上げた話題だけれど、ラブホテルの一日の売り上げは10億円だった。そうすると月に300億、一年に換算すると3兆6千億円になる。当時の日本の防衛費はそれより少なかったんです。これこそ世界に冠たる平和国家の証明ではないかというわけ。要するに、裏通りにひっそりと並ぶラブホテルと、狭い喫煙所に閉じ込められて肩身の狭い思いでいる喫煙者が日本経済と国防を支えている(笑)。

 たとえばタバコ一箱が430円だとすると、そのうち64%の276・73円が税金だっていうんだ。細かく言うと、その税金の105・24円が市区町村のたばこ税、122・44円が国のたばこ税、17・20円が都道府県のたばこ税、消費税が31・85円。税金をさっぴくと、タバコ自体の値段はたったの153・27円にすぎない。

「好煙権」運動があってもいい


 だから、各自治体は「区(市)の重要な財源ですからタバコは地元でお買い求めください」なんてPRしています。そのくせ、たとえばいまこの場でもタバコは吸えないでしょう。千代田区みたいに、路上全面禁煙だとか、立ち止まって吸うのもダメだとかって区もある。軍事予算の半分近い税金を取っておきながら、失礼きわまりない。そういう区には行きたくないね。

 ぼくの住んでいる中野区では、駅のまわりでもちゃんと喫煙エリアを決めていますよ。吸う人と吸わない人の住み分けを図っている。全車両禁煙なんて列車もあるけれど、新幹線には狭いけれど一応、喫煙スペースはある。要は喫煙者がマナーを守ればいいだけの話で、まさか山手線のなかで吸うバカはいないんだから。

 法律の勉強をしていた大学時代の友人で、わざわざ裁判を起こしたやつがいました。自分がいずれ検事だか弁護士になるんだから裁判というものを体験しておきたいというので、わざと立小便をして警察官につかまって、法廷で争ったんです。生理的にがまんできなかったので、物陰でした。大衆の面前でしたわけではないのになぜいけないのかって主張して、結局、裁判に勝ったんです。

 だからぼくも、千代田区で堂々とタバコを吸いながら歩いてみたい(笑)。つかまったら最高裁まで争う。あくまで法律に則って、喫煙に対して最高裁がどういう判断を下すか。法治国家ですからね。まさか「健康に悪いから有罪」とは言わないでしょう。

 国の最高機関である国会にだって喫煙室はあったはずですよ。議員会館にもね。それでいて庶民のささやかな嗜好品にとんでもない税金をかけて、禁煙区域をどんどんふやしている。ぼくが政治家になるとしたら、その問題を徹底的に追求しますね。

 社会の害悪のように言われながら、一言も文句を言わない喫煙者もおかしいよ。自分でもわるいと思っているのか、逆に、何と言われようが、タバコが一本一万円になろうがおれは吸うんだとか、タバコのために稼いでいるんだとか居直るのだって、肚の中では自分たちは世の中の人たちに迷惑をかけている存在なんだと漠然と思い込んでいるんじゃないかな。「嫌煙権」があるって言うのなら、タバコを吸う人間は「好煙権」運動を起こしたっていいはずだけどね。
マッカーサーのコーンパイプ


マッカーサーのコーンパイプ


 葉巻とかパイプとか、ぼくも一時やったことはあるけれど、いちいち手間がかかるものですね。あれは、食事のあとで、男たちだけでゆったりくゆらしながら大人の会話を楽しむ、そういう非常に高尚な嗜好品の一つなんだな。

 江戸時代の人間は、煙草入れを粋に帯に差して、煙管や煙草盆だけでなく、根付のようなものにまで凝って、美術品の域にまで高めた。喫煙という趣味の世界が文化になっているんです。

 そこまで手間暇かけて、凝りに凝ってタバコを吸うということは、喫煙という習慣に何かしら人の心を引きつけるものがあるからだと思うな。何かと言えばタバコは体に悪いというけれど、ニコチンが体に及ぼすプラスの効果だってたぶんあるはずですよ。

 荒野を旅するカウボーイが、小さな宿場町に着いて、馬の蹄鉄を替え、水と餌を与えておいて、自分はバーで一杯キューッとひっかけて煙草を吸う。長旅をしてきた男にとって、いかにも至福のひとときという感じがします。

喫煙所はコミュニケーションの場。居合わせた若い女性に火を借りる
 表現の自由があるんだから、嗜好品の自由だってあっていいはずでしょう。その人の幸福を追求する権利といってもいい。何か一仕事したあと、たとえば原稿を書き終わったあとの一服がなんとも言えないという人の喜びを法律で奪ってしまうというのは、もはや恐怖政治ですよ。

 すごく印象的だったのは、日本が負けて、マッカーサーが厚木に降り立ったシーンです。あのとき彼はコーンパイプをくわえていた。あのパイプが、日本の敗戦を象徴しているような気がしました。タバコと分かちがたく結びついている、記憶に残る場面もあるわけです。そういう歴史とも深いかかわりを持っている嗜好品を禁止することに、果たしてどんな意味があるのか。何のために止めさせようとするのか非常に疑問を感じますね。

善良な喫煙者たち


 ぼくは東京育ちだから、1960年代、70年代の排気ガスやスモッグの大気汚染のなかで生きてきたわけです。タバコより自動車の排ガスのほうがよっぽど体に悪いんじゃないか。東京に住んでいる人間は、タバコを吸わなくたって、街の空気を吸っているだけで少なくとも田舎の人たちよりはるかに大きなハンデを背負っているはずです。だけど、そんなことはまったく問題にしないで、タバコの煙だけが他人に迷惑をかけていると非難される。

 人類が宇宙ステーションをつくる時代に、たかがタバコごときでここまで非難される理由が知りたい。喫煙者は非喫煙者に対して本当に毎日迷惑をかけているのか。東京都の空気を汚し、日本全土を汚し、アジアを汚し、地球を汚しているのか。

 ボロボロになった肺の写真をパッケージに印刷している外国タバコなんかがあるでしょう。吸っていると、おまえの肺もこうなるぞという脅しだよね。気持ちが悪くて食欲もなくなる。でも、不思議なのは、タバコを吸わなくたって肺ガンになる人が増えているってことです。タバコが害になることが医学的にも社会的にも論理的にはっきり証明されたのならともかく、ほとんど感情論なんだよね。なんであれほどタバコだけを目の敵にするのか不思議でしかたがない。いつからこんな風潮が生まれたのかなあ。嗜好品を嗜む権利はあるが、他人に対してそれをダメだという権利はないと思うんだよ。

 でも、喫煙者はそれを主張しないで、「わかったよ、嫌いなんだろタバコが。あなたたちのいないところで吸うよ」とジッと耐えている。そういう非常に善良な人たちによって喫煙文化というものが守られているんですね。
北朝鮮のセブンスター


北朝鮮のセブンスター


 逆に言えば、見ず知らずの間柄でも、相手が愛煙家であることがわかると、「ああ、あなたもタバコお吸いになるんですか」なんていう感じで友だちになれる。

 このあいだ仕事でマダガスカルへ行ったとき、通訳にこの国でいちばんいいタバコを買ってきてくれと頼んだんです。そうしたら一本だけ持って戻ってきた。何で一本だけなんだって文句を言ったら、「いやー、一箱は売ってないんですよ」と困った顔をする。いったいどんなタバコ屋なんだと見に行ったら、おばちゃんが小さな屋台でバラ売りしていた。なつかしくってね。日本にもそういう時代がありました。タバコの葉を一本一本巻いて売っていて、紙は薄くて丈夫な辞書の紙(笑)。終戦直後の闇市では、吸い殻をほぐして巻き直して売っていた。

 北朝鮮でも、やはりバラ売りしていましたね。番組の取材で12年くらい前に初めて北朝鮮へ行ったとき、民衆の本音が知りたいから、偉い人たちの送迎の時間待ちで、運転手たちが四、五人しゃがんでタバコを吸っているところへ行って、本物のセブンスターをあげたら、もう大喜びでね。北朝鮮にはセブンスターはもちろん、外国タバコはだいたいなんでもあるんだけど、みんな北朝鮮製のニセモノで、実にいいかげんなものなんです。それを一本ずつバラで売っている。本物のセブンスターはとても貴重品だから、すぐには吸わないで、本当に大事そうにしてね。それがすごく切ない感じがして、こっちは免税店でいっぱい買って持っているんだから、一箱やるよってポケットにいれてやると、本当にうれしそうな顔をして、いろいろしゃべってくれたんです。将軍様がどうのこうの、あれは実のところはこうなんだとかって。

 だからずいぶんいろんなことを聞き出したんだけれど、日本のテレビ局のほうが、拉致問題の関係とかいろいろあるからそれはマズイって言い出して、番組では流せなかった。

 そういう意味では、タバコは国や人種を超えて人と人とのコミュニケーションのツールになるんですね。一本二本とバラでタバコ買って吸っているような貧しい国では、タバコ一箱であんなに喜んでくれるんだから、こっちだってうれしくなる。嫌煙家はそういう人たちにも「タバコは迷惑だからやめろ」というつもりなんだろうか。

 理屈じゃない、タバコ吸うやつはくさいからいやなんだっていう人がいるけれど、それは子供のいじめと同じだよ。じゃあお前とおれとどっちがくさいか、科学的な検査を受けて調べてみようかと言ったことがある。

 そういうことを言い出したら、外国人には本当に体臭の強い人たちがいるからね。日本を訪れる観光客がどんどん増えているらしいけれど、まさか匂いで人種差別するつもりじゃないだろう。それは日本人の品性、道徳、あるいは文化水準にかかわる問題だよ。

モスクの「清潔」さ


 日本人は度を過ぎた〝清潔病〟にかかっているんじゃないかな。女の子は起きたら朝シャンといってすぐ髪を洗う。三十代くらいのサラリーマンでも、起きて体にシュッシュッと芳香剤や消臭剤をふりかけて、電車を降りてまたふりかけて、会社で一回は下着を替えるなんて連中がいる。あれは一種のビョーキだな(笑)。

 テレビでも殺菌剤だとか消臭剤だとかのコマーシャルをしょっちゅうやっています。「ベッドにも風呂場やキッチンにも実はこんなに雑菌がいます」なんて、すごく気持ち悪い映像を流している。あれも一種の脅しだよ。このあいだ家の近くに新しいドラッグストアができて、行ってみたら、棚いっぱいに男用の芳香剤だか消臭剤が並んでいた。そこまで匂いを気にするというのはどういう神経なんだろうね。

 子供の頃、寝転がっているところへおばあちゃんやおふくろが通ると、かすかにナフタリンの匂いがしたりしてね。箪笥の奥にしまっていた冬物を出すと、防虫剤のナフタリンの匂いが移っているから。ああ、そろそろ衣替えか、季節が変わったんだなとそれで気づく。懐かしいね。情緒ってものがあったよ。そういう生活の匂いまで消したいのかなあ。

 毎日風呂に入って石鹸で体を洗うのは肌によくない、年をとってから肌が荒れて取り返しがつかなくなるって医者に言われたことがあります。

 イスラム教徒の礼拝堂で、モスクっていうのがあるでしょう。昔は、モスクって不潔な場所なんじゃないかと思っていた。だって、絨毯の上は裸足で歩くしさ、礼拝する時には赤の他人の尻と足の裏が目の前にあるんだからね。それで水虫かなんかだったらたまらないよ。だけど、アラブ世界には水虫はないんだって。それに、モスクに入る前に水で足を洗うから清潔なんです。水だけで、石鹸なんか使わないんだよ。

 ぼくがイスラム圏でモスクに行ったとき、靴と靴下を脱いで上がっていったら、そこにいた爺さんに、足を洗えと言われてね。素手で足を洗ったことありますか? 妙なものですよ、水だけで、石鹸も何もつけないで手で足を洗うのは。考えてみると、人生で初めての経験だった。でも、それで十分なんだ。

 水虫がないっていうのは、アラブの人たちって草履みたいなのをはいているでしょう。水虫を砂漠の砂で殺菌しているのかと思ったら(笑)、彼らに言わせれば、われわれは靴を履くから水虫になるんだって。

 もし日本人にモスクに行く習慣があったら大変だよ。朝、風呂に入ってさ、体中に芳香剤をふりかけて、モスクに入る前には足に石鹸つけて洗って、除菌作用のある消臭剤をスプレーして上がって行くだろうね。だけど、アラブでは水で足を洗うだけでいい。そんなものなんだよ。
「清潔」という病


「清潔」という病


 嫌煙権って、タバコに害があるかどうかなんて実はどうでもよくて、本当のところは日本人の異様な潔癖性が言わせているんじゃないかなあ。煙がどうのこうの、肺ガンになるだのなんのと主張する作戦を考えたヤツが悧巧(りこう)だったんだよ。

 タバコの匂いがいやだ、煙がいやだ、壁に汚いヤニがつく。とにかく自分の身の周りにはいっさい異物は寄せ付けない、無菌状態でいたいという異常な……、もう潔癖症を通り越して清潔病にかかっているんだろうな。それが当然のことだと思っている自覚症状のない〝病人〟にとっては、タバコが眼前の敵なんでしょう。

 ぼくら喫煙者は、そういう人々に囲まれて生きているわけですが、ぼく自身は品位や品行に欠けるどころか、千年以上の昔から人々が伝えてきた嗜みをいまも守り続けている、由緒ある血筋とDNAを持った人種であると思っています。

 だから、嫌煙家はみんなビョーキなんだと考えるしかない。匂いに敏感すぎて、潔癖すぎて、体外に自然に排出されるものだけでなく、必要なものまで削り落として、一日中体を消毒している、そういうかわいそうな人たちなんです。

 ビョーキのおれが言うんだから、まちがいありません(笑)。

 
やまもと・しんや 1939(昭和14)年、東京都千代田区生まれ。63年、日本大学芸術学部演劇学科卒業。翌年、岩波映画製作所で羽仁進氏に師事して助監督となり、65年「狂い咲き」で監督デビュー。「未亡人下宿」シリーズで一躍脚光を浴び、60年代から70年代にかけて約250本の作品を手がけた。テレビ朝日の深夜番組『トゥナイト』『トゥナイト2』に21年間出演し、性風俗に関するルポタージュが後のライフワークに。エイズ問題に関心を持ち、90年代以降はボランティア活動を積極的に行っている。テレビ・ラジオ番組で活躍中。最近著に『カントク記 焼とりと映画と寿司屋の二階の青春』(双葉社)。

この記事の関連テーマ

タグ

タバコはクルマよりも危ないらしい

このテーマを見る