ウィーン会議では物別れ


 こうした平山論文に対する批判は多岐にわたり、詳細を紹介するのは煩にすぎるので、ここでは代表的な論点を要約して次に列挙したい。

(1)基本データの取得は1965年に限られ、転居者をふくめ、その後の追跡が不十分である。対象地域の六府県が公害の多い工業地帯に偏していないか。

(2)夫妻の住宅環境、同居時間など受動喫煙に関わる諸条件を調査していない(平山は日本の住居は狭苦しいと釈明)。

(3)肺ガンが原発か転移か、組織型(腺ガンか扁平上皮ガンかなど)の別などが不明。

(4)「ときどき吸う人」の10万人当り264人という死亡率が、「喫煙しない人」の304人より低いというデータを無視している。

(5)非喫煙者同士の夫妻でガン死した実数と原因(タバコ以外?)が究明されていない。

(6)既婚女性より未婚女性の肺ガン死亡率のほうが高いなど理に合わぬデータがあるのは、14年間の肺ガン死が計346人と過少にすぎるなど、偶然性に左右される要素が多いからではないか(平山は未婚女性の多くは未亡人だと反論)。

(7)副流煙はすぐに希釈拡散し、口からではなく鼻から吸入するので濾過される。

(8)相対リスクが1~2では有意性があるとは言えない(※33)。被調査者の5%がウソを申告すると、がらりと変ってしまう。

 ウィーンの円卓会議で問いつめられた平山は、短いBMJ論文に記載していなかった情報を持ちだし、検証のしようがないと不満を買ったが主張は変えず、「一日5本でも肺ガンになる」式につっぱねた。ガーフィンケル博士が「平山博士は肺ガンと受動喫煙の関係をprobableと言ったが、私はpossibleと言い直したい。肺ガンと能動喫煙までなら折りあえるが」と食いさがるや、平山は「タバコを廃絶したら、こんな論争は不要になる……私は probableの線で政府とWHOへ働きかけたい」と突き放した。

 最後に座長のレーナート博士が「平山理論は一貫性がなく、科学的証拠に欠ける仮説にとどまる」としめくくったが、「今後も社会問題として論争はつづくだろう(※34)」と予告するのを忘れなかった。この予告は的中する。

 これだけ多くの苦情が出た論文も珍しいが、コホート開始時に受動喫煙というテーマを想定していたら、平山はより適切な応答を用意できたのではあるまいか。あるいは名取春彦が言うように、集計の最終段階で「タバコを吸わない人も大勢が肺ガンになっている。平山ははたと困った。辻棲が合わなくなる。それで〈受動喫煙〉という言葉をつくって、タバコを吸わない人も実は吸っていたのだということにした(※35)」のかもしれない。

 しかしレーナートが危惧したように、平山理論を歓迎する動きも出た。「公衆衛生における新分野を開始した画期的な成果」(オング、グランツ)と賞讃する医学者もいたし、1982年の米公衆衛生総監部の報告書も好意的関心を示す。

 平山論文に刺激されて各国で類似の手法による追試も試みられたが結果はまちまちで、「1990年までの25の研究のうち……13は統計学的に有意」と、第二次たばこ白書(1993)は観察した。半信半疑というところだろうが、意外にも平山が所属するがんセンターが「受動喫煙によっても、肺がんのリスクが高まる可能性が“示唆”された(※36)」と及び腰だったのは興味深い。

 内外の追試はその後もつづいているが、62例のうち50例は有意差がないとする評価(※37)もあり、IARC(国際がん研究機関)のように、1998年に「リスクは1・16で有意差なし」と判定していたのが、6年後には「受動喫煙は肺ガンをひきおこす証拠がある」と豹変する例も珍しくなかった。おたがいに都合の悪い結果が出ると、データを改竄しているとか、タバコ会社にカネをもらっていると叩きあうので、専門家でも見きわめがつきにくくなっている。