ところがガン撲滅と反タバコのキャンペーンに乗り出していたWHO(事務局長は中嶋宏、1998年からブルントラント)にとって、受動喫煙の害を強調する平山理論は追い風となる好材料であった。

 その波に乗って平山理論は日本に逆輸出され、禁煙運動家の間で「神の福音のように(※38)」(ヴォス)もてはやされることになるが、母国の医学界では平山が発表と討議の場をもっぱら海外に求めた事情も手伝って、そっけなく扱われた。10年ごとに発行される古巣の国立がんセンターの記念誌でも、1985年に定年退職したのを機に、平山関連の記事は見られなくなる。

 孤立した形の平山は、予防がん学研究所と予防老化学研究所を設立、『禁煙ジャーナル』を主宰する禁煙運動家として全国を飛びまわり、次々に啓蒙書を出版するが、しだいに過激度を増していく。その一端は、

『喫煙流行の制圧』(1980)
『たばこはこんなに害になる』(1984)
『菜食・禁煙・がん予防』(1988)
『ガンにならない体をつくる』(1991)
『ベータ・カロチン健康法』(1994)
『ガンにならない健康食』(1995)

のような著書名で見当がつこう。

 運動家としての平山の論調は、切れ味の良さ、科学者には稀な断定調、キャッチフレーズの巧みさが持ち味であった。「日本専売公社(現JT)はタバコ病専売公社と改名せよ」とか「その一服、一服ごとに、ガン育つ」とか「残留喫煙者は社会のドロップアウト、毒蛇のようなもの」といった言行が残っている。

 勢い余って「タバコは肺ガンばかりではない。ほとんどのガンはタバコが原因」と叫ぶようになるが、晩年にガン予防へ有効だと推奨したベータ・カロチンを含む緑黄色野菜の摂取は、アメリカのコホート調査で、逆に発ガン性ありと結論が出て困ってしまう一幕もあった。

 サンプルとして、1992年に広島県医師会館で開催された第九回全国禁煙教育研修会における平山の特別講演の一部を抜いてみよう。

 医師会が禁煙の先頭に立つのを待ち望んでいた。肺ガンの罹患率が10万人対107人というと、宝くじに当るようなものと言う人がいる。しかし生涯率で見ると、これの“100倍”になる。一日50本以上吸う人は75歳までに肺ガンで10万人につき“3万3千余人”が死ぬ。ちょうど3分の1だ。“残りの人”がなぜならないかというと、肺ガンになる前に心臓病などで死ぬからである(中略)。

 肺ガンとライフスタイルの関係ではタバコが横綱、酒は大関、どの部位のガンでも筆頭、妊婦が喫煙するのは胎児に対する密室殺人、副流煙は毒ガス、米厚生長官は〝喫煙は緩慢な自殺〟と言ったが、私は受動喫煙を〝緩慢なる他殺〟と呼びたい(※39)。

「鬼面人を驚かす」の見本と言えそうな論調だが、見逃せないのは傍点を付したように本来は中立的な統計数字を露骨な我田引水的論法で歪めて、聴講者の恐怖心を煽りたてていることである。天災の到来を予言する新興宗教の教主もどき、と言ってよいだろう。

 平山は1995年に肝臓ガン(一説には肺ガン)で没したが、その後の禁煙運動に多大な影響力を残し、とくに「受動喫煙の問題では理論的な支柱(※40)」(渡辺文学)としての役割を失っていない。ひとつにはWHOや先進諸国の圧力で、喫煙規制の強化に踏み出さざるをえない日本政府が、それを正当化する根拠として平山理論を必要とする事情もありそうだ。

 次に肺ガンと喫煙の関連をめぐって、最近の約20年間に起きた医学上、政策上の論争経過をたどり、あわせて将来的な展望に及びたいと思う。