そして「疑わしきは罰す」流れにしてしまったのを悔いる重松は、遺伝子解析などを含む分子疫学面における患者対照研究の発展で識別を可能にしたいと提言するが、見通しは必ずしも明るくない。理由は少なくとも二つある。

 第一は、在来型の動物実験が行きづまりを見せていることだろう。第二次たばこ白書には、ここ半世紀にわたる「たばこの発がん性に関する動物実験の一覧表」(外国41例、日本16例)が提示されている(※46)。

 タール塗布や強制喫煙が主流だが、「ビーグル犬の気管を切開して、紙巻きたばこを2年半にわたって強制喫煙させたところ、24頭のうち2頭に微小扁平上皮がんを認めた」とか「マウスヘの強制喫煙を600日間続けて初期腺がんの発生を認めた」という極端なものが多く、「こんな状態で副流煙を吸い込むことはありえない(※47)」と評されても、しかたがあるまい。白書もこの手法は「極めて困難」とあきらめ気味である。

 第二に、嫌煙運動の拡大、行政の干渉で喫煙可能な空間がしだいに狭められた結果、受動喫煙の「被害者」が急減しつつあり、平山流のコホート調査はやろうと思ってもできないという皮肉な現象が起きた。第三次たばこ白書が「六府県コホート研究」の見出しで平山の調査データを改めて大々的に取りあげたのも、比肩する後継コホートが見当らなかったせいもあろう(※48)。

 だが白書は禁煙者増でコホートの条件が成り立たぬことや、ヒトと同条件での動物実験に見込みがないと認めながら、因果関係について水俣病裁判や明治日本の脚気論争を引き合いに出す。

 疫学的手法に拠った高木兼寛(海軍省医務局長)らの主張に、病原や病理の裏付けがないとして反対、脚気の予防が進まなかった例になぞらえ、「最も説得力があると判断された因果関係の仮説」をとりあえず受け入れるべきだという論理を展開した。「疑わしきは罰する」路線への伏線と言えよう。

 厚生省が「健康21」のプロジェクトを始動させた2000年前後は、政策的な転換点となる。第一次(1987)と第二次(1993)のたばこ白書で「喫煙と肺がんの因果関係は多くの疫学的研究および実験的研究で“ほぼ”確立してきていると“みられる”」(同文)と揺れていたのが、第三次たばこ白書(2002)では「肺ガンはたばこが原因の大部分を占めている(※49)」と断定するにいたる。中立的立場を捨てたと言えよう。

 前後して厚労省の影響下にあった日本肺癌学会(2000)、日本公衆衛生学会(2000)、日本癌学会(2003)、日本医師会(同)が、次々に「禁煙宣言」を声明した。一部の急進的な会員に突きあげられてか、反タバコ、反受動喫煙のスローガンを打ち出すところもあった。

 このような突きあげは、その後もつづく。一例を挙げてみよう。肺癌学会の機関誌である『肺癌』誌に掲載された女医の提案で、WHO声明と平山提言にならい、(1)会員は社会のロールモデルとなるよう禁煙せよ、(2)会員の喫煙事情やタバコ規則への態度を調査する、(3)タバコ会社と縁を断つ規定を新設する、(4)タバコ規制活動への積極的参加、など14項目を並べている。

 そして受動喫煙対策として喫煙所の設置(分煙)を推奨している学会の禁煙宣言を取り消し、完全無煙化へ向け行動することを宣言せよと迫る(※50)。

 有無を言わせぬ過激さに私が連想したのは、WHO事務総長時代に華々しい活躍ぶりを見せ、「世界の環境大臣」の異名をもらったグロ・ブルントラント(小児科医出身の元ノルウェー首相)であった。彼女は平山雄に似た科学者らしからぬレトリックの巧者で、「20世紀には約1億人がタバコ関連病で死んだ」とか「世界中のどこかで13秒に1人の喫煙者が死んでいる」たぐいの発言でマスコミを賑わせ、WHOを強力な政治団体へ変貌させた。

 1999年の総会で「たばこ規制枠組条約」を提案したブルントラントは、立ちおくれている日本にハッパをかけようと、その年にWHOの国際会議を神戸で開催する。会場をのぞいた斎藤貴男の報告によると、参加者の9割が女性で「フェミニズム大会にも似た雰囲気が漂っていた(※51)」という。

 そしてタバコは「絶対的な悪」という前提で、会議は「どうすれば規制を進められるかという運動論ばかりが語られた」ことに、斎藤は「個人的な嗜好に、WHOという国際機関が介入する。タバコの害のメカニズムが解明されたとは言えない現状で、禁煙以外の道を認めない空気」に違和感を抱くが、どうやら大勢は決した感があった。