次は酒かケイタイか?


 さて21世紀に入ってからのタバコ政策はWHOの圧力に各国が押し切られる形で、警告→分煙→禁煙→全面禁煙(勧告→法的強制)の流れを急加進させつつある。

 2005年に発効した「たばこ規制枠組条約」(FCTC)は次のような条項を掲げた。

 (1)価格および課税に関する措置(値上げ)。
 (2)職場や公共の場所での喫煙規制。
 (3)パッケージヘの警告表示。
 (4)広告や販売促進などの禁止。
 (5)未成年対策として自動販売機の規制。

 建前としては各国の主権を尊重するとはしているものの、その後の締約国会議で実現度をチェックして約束を迫られるため、日本政府も追従せざるをえなくなった。タバコ財源確保のため消極的だった財務省も、厚労省が主導した健康増進法(2003年発効)との挟み打ちにあい、抵抗をあきらめた感がある。

 2010年の時点でわが国での(1)~(5)の達成度を眺めると、(1)では1998年から、2003年、2006年と約一割ずつ値上げされ、2010年10月に「史上最大の幅」の4割値上げが実施されて、2014年4月には消費税増税にともない10円~20円の値上げとなった。

 (2)では、ばらつきはあるが職場、病院、学校、交通機関の建物内禁煙とともに、条例による路上、飲食店、タクシーなどの禁煙が広がり、分煙の主旨による喫煙所も撤去されつつある。

 (3)の警告表示は、「喫煙は、あなたにとって肺ガン(注:心筋梗塞、脳卒中、肺気腫の4種を交互に)の危険性を高めます。疫学的な推計によると……非喫煙者に比べて約1・7倍高くなります」の文言がパッケージに印刷されている。

 (4)(5)の詳細は省くが、(5)についてはタスポ・カードの導入で面倒がる喫煙者がコンビニヘ移ったため小売店の廃業をもたらした。

 注目されるのは(3)で、心筋梗塞など新顔の三種を加えている点である。肺ガン絶滅の見通しがつきそうもないので、とりあえず標的を他の病気にも分散させる狙いだろうが、狂信的な健康絶対主義者が巣食うWHOはタバコ追放運動に一応のメドがついたので、次のスケープゴートを模索しているように見える。

 次の標的はアルコールの規制だろう。「年250万人の死にかかわるアルコールは健康だけでなく社会悪」ととらえる観点から、各国に販売や広告の自主規制を求め、2010年には「アルコールの有害な使用を低減するための世界戦略」が第63回WHO総会において全会一致で採択された。

 フーバー大統領が「高貴なる実験」と呼んだアメリカの禁酒法(1920─33)をめぐる表裏の歴史を書いたマーク・レンダーは、「失敗の教訓のすべてを、再び学びなおす過程にあるのかもしれない(※52)」と危惧しているが、一部の医学者や運動家は「百薬の長とはいえ、よろずの病は酒からこそ起こる」と喝破した兼好法師の後段部分を証明する作業に熱中するだろう。

 ちなみに最近は泥酔者が滅ったと感じているが、そうでもないらしい。新聞報道によると、2009年に警察が保護した酔っぱらいの総数は70038人(うち女1708人)で、10年前に比べ3割増(女は四割増)だという。ターゲットにされてもおかしくない統計ではある。

 医療費増や酔っぱらい運転による事故などの社会的コストを計算していくと、タバコを上まわるリスク値が算出されるかもしれない。だが往年の禁酒法が密造、密輸、もぐり酒場やギャングの横行をもたらしたように、「酒とタバコ」に対する人間の伝統的渇望を法的規制や迫害で押さえつけるのは不可能に近いと思われる。

 アルコールに次ぐ標的は、他にもある。電磁波(ケイタイ電話)、香水、ファストフード、コカ・コーラ、肉類、肥満(メタボ)、そして最後の難物である自動車などがずらりと控えている。

 電磁波が候補になっていることに首を傾げる人もいようが、実は例のブルントラントが関わっている。2002年にノルウェーの新聞が一面トップで紹介した記事によると、彼女はタバコの煙と電磁波に過敏な体質の持主で、WHO事務総長室に入るスタッフはケイタイをオフにするよう厳命していたという。

 彼女は最後の大仕事を電磁波規制と宣言していたが、その成果かと思わせるニュースがあった。ストックホルムのカロリンスカ研究所(ノーベル医学賞の認定事務局)は、1997年からスウェーデン国民の健康指標が急激に悪化しつつあるのは、その年から爆発的に普及したケイタイの容疑が濃いと発表したのである(※53)。

 酒もタバコもやらぬ菜食主義者のヒトラーがひきいるナチス・ドイツは、権力で病的人間を排除する「健康ファシズム」国家をめざした。昨今のとどまるところを知らない健康志向の風潮は、国際機関や国家が個人の自己決定権を否認して介入を強めていく点で、ナチスの思考法に似ていると危ぶむ人が少なくない。しかも、その過程であやふやな医学的根拠をふりかざした非同調分子への差別や迫害を、当然とする空気が形成される。

 近代日本の医学は感染症、ついで結核の制圧に成功し、世界一の長寿国家となり、残された目標はガン、心臓、脳血管の三疾病に絞られてきた。その克服に向け、多大のエネルギーとコストを投入しているが、効用の限界に近づきつつあるようにも見える。

〔注〕
(26)『国立がんセンター年報』第7号(1975─74年度)47ページ。
(27)浅野牧茂「Passive Smoking ──その環境と生体影響」(『医学のあゆみ』1977年11月5日号)、同「受動的喫煙」(『からだの科学』1980年11月号)。
(28)平山雄編『がんの計量疫学』(篠原出版、1980)18ページ。
(29)Takeshi Hirayama, Non-smoking Wives of heavy smokers have a higher risk of lung cancer, a study from Japan(accepted13 Nov. 1980),British Medical Journalvol.282,17 Jan. 1981, p.p. 183-85
(30)平山雄「喫煙の臨床的意義」(『日本医事新報』1980年8月30日号、16─17ページ)。
(31)BMJ, Vo1.282-283,p.p.733, 914-17,985,1156,1464-66
(32)Preventive Medicine13,p.p.559-746(1984)
(33)平山は1984年の第二報告(PreventiveMedicine 13, p.p.680-90)で相対リスク値を1・4~1・6および1・91と修正、竹本忠雄は有意差なしの1・3と1・5に修正すべきだと主張した。
(34)Preventive Medicine13, p.746 
(35)前掲名取、52ページ。
(36)『国立がんセンター20周年誌』(1983)178ページ。
(37)『たばこの事典』(TASC、2009)177ページ。
(38)Tage voss, Smoking& Common Sense: One Doctor'sView,(London, 1990)の邦訳は『たばこ──ホントの常識』(山愛書院、2001)130ページ。
(39)「愛媛県医師会報」、1992年9月号(文責は真鍋豊彦)。なお傍点部分の数字には疑問が多い。『がん統計'13』によると、肺ガンの生涯罹患リスクは男9・5%(10人に1人)、女4・3%(23人に1人)、同じく生涯死亡リスクは男6・1%(16人に1人)、女2・2%(46人に1人)である(23~24ページ)。実数では1990年の全死亡約82万人に対し、肺ガン死(全年齢)は3・6万人である。一日50本以上のヘビースモーカーはその1割以下であろう。
 人口10万比を利用して錯覚させる手法はその後もあちこちで見かける。たとえば「人口10万人当たりの生涯リスク(死亡)は、高い順に1位は能動喫煙3万7500~5万人、2位が受動喫煙(家庭内)5000人……3位は交通事故で480人」(『毎日新聞』10年4月30日付の本田宏〈医師〉論文)も、その一例である。数字の根拠も不明だが、10万人のうち5万人以上、つまり半分以上がタバコに起因する肺ガンで死ぬと錯覚させるトリックと言えよう。
(40)渡辺文学(『禁煙ジャーナル』編集長)『タバコの害とたたかって──スモークバスター奮戦記』(大日本図書、1996)。
(41)泉孝英編『標準呼吸器病学』(医学書院、2000)4一6ページ。
(42)須田健一、小野里良一、光富徹哉「肺癌の原因──喫煙と環境因子」(『臨牀と研究』86巻7号(2009)。
(43)浅村尚生『肺ガンの最新治療』(講談社、2002)28ページ。
(44)前掲阿部、8ページ。
(45)重松逸造『追記集─疫学研究50年抄』(非売品、2003)84ページ。
(46)前掲第二次たばこ白書、58─59ページ。
(47)斎藤貴男「禁煙ファシズムに物申す!」(『中央公論』2008年1月号)。
(48)前掲第三次たばこ白書、72ページ。
(49)同右、84ページ。
(50)繁田正子「肺癌検診関係者や日本肺癌学会はタバコとどう対峙すべきか」(『肺癌』49巻1号、2009)113─21ページ。
(51)斎藤貴男『国家に隷従せず』(ちくま文庫、2004)164ページ。
(52)禁酒法の歴史については Mark E. Lender and J.K. Martin, DrinkinginAmerica(N.Y,1987),岡本勝『禁酒法』(講談社現代新書、1996)を参照。
(53)『インテリジェンス・ウイークリー』10年3月22日号(出典はGentlemen QuarterlyFeb. 2010)
(54) 前掲宮田、193ページ。

原典:秦郁彦『病気の日本近代史』(2011年・文藝春秋刊)第七章「肺ガンとタバコ」。なお、原著の記述は2009年前後のデータに基づいているため、著者の了解を得て最新データに変更しています。