常見陽平(千葉商科大学 国際教養学部専任講師)

昔のイメージで大学を語るのはやめろ


 昨年の4月に大学の専任教員になってから日々、「ブラックバイト」問題について考えている。この問題をどう解決していくか、頭を悩ませている。週5回以上の過酷な労働に没頭しつつ、大学に通う彼らを見ていると複雑な心境になる。

 以前から大学の非常勤講師をしてきたし、労働問題の研究家としてこの問題はウォッチしていた。しかし、専任教員になって問題を至近距離で目撃し、これによる学業阻害に怒りを覚える一方、その根深さに驚いている。アルバイトなしでは、大学生活が成立しない者もいるので、「アルバイトなどやめてしまえ」なんてことは口が避けても言えない。

 この問題を議論する上で、皆さんに言いたいことがある。それは、自分が若い頃の大学生活の常識、体験、イメージなどを前提に論じるなということである。それこそ、柴門ふみの『東京ラブストーリー』『同級生』『あすなろ白書』などのような、恋愛で悩む余裕のあるような、頭の中がお花畑の大学生活を想像してはいけない。

 これまで、この問題をめぐる議論でも指摘されてきたが、大学生の経済事情は以前と比べると悪化している。例えば、大学生協の調査などでは、この20年で仕送りの額が減っているのは明らかだ。以前は下宿生の約6割が仕送りを10万円以上もらっていたが、現在はそのような層は3割程度になっている。仕送りがゼロの層、5万円未満の層もこの20年間で増えた。もちろん、ファストファッションの流行に代表されるように、お金をかけなくても生活できる社会にはなってきているが、レジャーランド、モラトリアムと言われた時代ほど大学生活は楽ではない。
 単位の取得条件も厳しくなった。出席しなくては単位が出ない。教員も簡単に休講にするわけにはいかず、1学期15回の講義を必ずやらなくてはならなくなった。長距離通学者も増えている。ゆえに、アルバイトでぐったりと疲れた上で、通学でも疲れた学生が、講義にとにかく出なくてはならないという状態になってしまっている(それが学生のすべてだとは言わないが、こういう学生を普通に見かける状態ではある)。

 大学も学部も数が増えている。大学進学率も約5割という世界になった。よくあるバカ学生言説のようなものも見受けられる。「Fラン大学なんかに行くなら高卒で十分」などという声もある。気持ちは分かるが、これもより広い視点で見て頂きたい。鶏が先か卵が先かという話ではあるが、20年前と比べ高卒の求人が減った上、業種・職種の選択肢も減っているのだから大学に行かざるを得ないという構造になっている。大学進学者が多いという世界観自体は悪くない。Fランと呼ばれる大学は逆に丁寧に教育することで高い評価を得ている大学もある。問題は教育費を誰がどう負担するのか、大学生らしい日々を送ることができるか、卒業後の進路の希望が通るかなどをめぐるものであろう。このような前提を無視して「大学が多すぎる」「大学とはそういうものか」と問うのは暴論だ。18歳選挙権が実現したが、それでも若者はまだまだ社会を選べないわけで。私のような大学教員を批判するのは構わない。だが、社会を選ぶことのできない若者を批判するのは、どうかやめて頂きたい。

 前提が長くなってしまったが、まず、この大学や大学生をめぐる現状をご理解頂きたい。ここで「嫌ならやめろ」「バイトなんかするな」「大学多すぎ」のような話をされても、始まらないのである。自らの牧歌的な時代の思い出を前提とした大学論など、どうか飲みの席だけにして頂きたい。