岩田温(政治学者)

 昭和58年10月12日、東京地裁で田中角栄に懲役4年の実刑判決が言い渡された。その2か月後の総選挙、新潟3区で田中角栄は22万761票という驚異的な大量票で当選を決めた。私事にわたり恐縮だが、私はこの昭和58年の9月に生を享けた。当然、田中角栄の記憶はなく、私にとって田中角栄とは本の中でのみ知りうる歴史上の人物ということになる。

 田中角栄といえば、金権政治の象徴のような人物で、私はほとんど興味を持てなかった。積極的に田中角栄から学ぼうという気持ちになれなかったからだ。そんな私が田中角栄に興味を持ったのは、ある先輩との出会いからだ。

 大学生だったか大学院生の頃だったか、判然としないのだが、今から10年ほど前に、静岡県のある勉強会に講師として招かれた。その講演会で司会を務めていたのが早稲田大学のOBの中小企業の社長だった。講演会では「岩田先生」と持ち上げてくれたが、二次会では「岩田君」と呼ばれ、色々とお話を伺った。

 「中小企業がこの国を支えてるんだ。大企業なんて入れるのは本当にごく少数。中小企業が元気にならなければ、日本は元気にならない」

 中小企業の社長の悲哀について語ることが多かったが、その夜、私に厳しい指摘をしてくれたことが心に残ってる。

 「岩田君の話は、ほとんど賛成だけど、難しすぎる。憲法、大東亜戦争、保守主義も、普通の人には難しいんだ。『普通の人』っていったときに、岩田君は自分の友達を想定するだろう。それがインテリの悪い癖なんだ。中小企業で働いてるおじさん、パートに出てるおばさんが、普通の人なんだ。大学なんかいってないし、本なんて読まない。新聞も社説を読むのは難しい。それが普通の人なんだ。こういう人たちがほとんどなんだ」

 確かに指摘された通りなのだが、それでは学問は成り立たないではないか、と反論すると、先輩は問いかけてきた。

 「田中角栄、どう思う?」

 私は、正直に、そんなに興味がないと答えると先輩はつづけた。

中曽根総理・田中角栄会談後、イヨッ!のポーズでホテルを出る田中角栄=1983年10月
中曽根総理・田中角栄会談後、イヨッ!のポーズでホテルを出る田中角栄=1983年10月
 「そうだろう。だから、まだ未熟なんだ。多くの国民が角さん、角さんと慕う理由を考えたことあるか。まずは、田中角栄について勉強しろ」

 先輩の話も一理あると納得する部分もあったし、そこまでいうなら、次回は田中角栄論でも戦わせてやろうと考えて、その日以来、田中角栄に関する本を本格的に読み始めた。多くの角栄論があったが、一番興味深かったのは、やはり早坂茂三の角栄論だった。もちろん、側近であった早坂が書くのだから、美化している部分も多いだろうし、負の側面については触れていないものも多いだろう。

 だが、私は田中角栄を断罪しようと本を読み始めたのではなく、何故、多くの国民が田中角栄が好きだったのかを考察しようとしていたので、俗にいう「金権政治」の部分に関してはそれほど神経質にならずに読み進めた。多くの国民が、田中角栄のことを愛したのは、庶民の心、弱者の心を読み解く天才だったからに他ならない。思想やイデオロギーではなく、庶民の「生活」を重視し、一人一人の顔を立てる天才だった。