屋山太郎(政治評論家)

「お金をもらって喜ばない奴はいないんだよ」


 石原慎太郎氏が近著『天才』(幻冬舎)のなかで、田中角栄を偉大な政治家と評価しているのには仰天した。田中氏は悪徳の衣を着た大政治家ではある。人間、最後は悪徳の衣を脱ぐものだ。その瞬間に人の見方は評価に変わるものだが、田中氏は最後まで悪徳の衣を脱いだことはなかった。

 私が政治記者を始めたころ、田中氏はもう自民党の幹事長一歩手前まで来ていた。私は朝から晩まで田中氏を見張る“田中番”を務めたが、この“番記者”というのはつねに田中氏の側に寄り付いて、政治情報や枢機に参画するベテランの番記者とは違う。田中氏について見たり、聞いたりしたことをデスクに報告する使いっ走りの記者である。

 角さん主催の祝賀会が椿山荘で開かれたときのこと。庭に組まれた大きな櫓の上で角さんが挨拶するにあたって、一人の着物姿の令嬢が大きな花束を持って階段を上ってきた。角さんは大ニコニコで花束を掲げつつ、下りようとした娘さんを呼びとめた。何をするのかと思ったら、懐から財布を取り出して1万円を出し、娘さんに「ご苦労、ご苦労」といって差し出したのである。娘さんは手を振って峻拒しているのだが、角さんは委細構わず、お札を握らせた。断ればお祝いを台無しにする雰囲気である。娘さんは全身に恥ずかしさが溢れていたが、膝をかがめて受け取った。聞いてみれば娘さんは出席していた財界人の娘さんで、いきなり花束を渡す役割を荷なわされたのだった。満座のなかで現金を渡されたのは初めての経験だったろう。

 私はあとで角さんに「娘さんは恥ずかしい思いをしたのではないですか」と耳打ちしたところ、「人はな、お金をもらって喜ばない奴はいないんだよ」と平然と答えたのには驚いた。このたった一つの場面に田中角栄の金銭感覚が表現されている。
あいさつを終え、通産省の職員に拍手をうけながら引きあげる田中新総裁=昭和47年7月
あいさつを終え、通産省の職員に拍手をうけながら引きあげる自民党の田中新総裁=昭和47年7月
 後年、私は田中角栄首相時代、官邸のキャップをやる巡り合わせになった。ニュージーランド、オーストラリア、ビルマ(現ミャンマー)三国を歴訪する“最後の旅”に同行することになった。ニュージーランドの上空から下を見下すと、ひたすら続く緑の草原である。あまりの美しさに息を呑んで見ていると、隣に来た首相が「あのへんは坪いくらだろう」というのに驚いた。この人は景色の美しさとか雰囲気にまったく関係なく生きていて、地面師のような感覚しかもっていないのだ、と思った。

 あるとき、無断で幹事長室に入っていったことがある。角さんは向こうを向いて日本地図に定規で熱心に赤線を引いていた。私が覗き込むと「ここにね、新幹線を敷くんだよ。すごいだろ」という。日本海側のことを当時「裏日本」といったものだが、角さんの夢は「裏」に光を当てることだった。このため新幹線や高速道路を日本列島中央の山を貫いて引きまくった。角さんの道路敷設案は自民党の鉄道建設審議会に諮って決めることになっていたが、つねに角さんのつくった原案どおりに決まる仕掛けになっていた。鉄道建設審議会の会長は党の総務会長が兼任することになっており、その総務会長には盟友の鈴木善幸氏(元首相)を充てていた。善幸氏によって田中原案はそのまま決まるのである。