仲野博文(ジャーナリスト)


第三回【グループリーグ Match16 イングランド対ウェールズ】


ドイツをからかうチャントにも
空虚感が漂う現在の英国


 ユーロ2016では英国から3チームが出場している。イングランドとウェールズ、そして北アイルランドの3チームだ。ウェールズは1958年のワールドカップが唯一の出場大会で、欧州選手権への出場は今大会が初となる。北アイルランドはワールドカップに3大会出場しているが、これまで欧州選手権に出場する機会はなかった。スウェーデンで行われた1958年大会にはスコットランドも出場しており、イギリスの4チームが全て出場した唯一の大会となっている。

 それぞれの時代に名選手を輩出してきたウェールズと北アイルランド。ウェールズにはクラブレベルで名を残したアタッカーが多く、イアン・ラッシュやマーク・ヒューズ、最近まで現役を続けたライアン・ギグスもウェールズ代表のユニフォームを着てプレーした。北アイルランドにもマンチェスター・ユナイテッドの伝説的ウイングであったジョージ・ベストや41歳まで現役を続けたゴールキーパーのパット・ジェニングスがいる。代表レベルになると選手層の薄さで、国際舞台では涙を飲み続けた両代表チームだが、個人レベルでは長きに渡って多くのファンを魅了してきた。

 イングランド代表は国際大会への出場経験が多く、ワールドカップに過去に13大会出場し、欧州選手権にも9大会の出場を誇る。国際大会の常連国ではあるものの、ワールドカップで優勝したのは自国開催の1966年大会のみ。同じく自国開催のユーロ1996では、準決勝のドイツ戦でPK戦の末に敗退している。

 1966年大会の決勝で、イングランドは当時の西ドイツと対戦したが、試合は2対2のまま、延長戦に突入。延長前半にウェストハム・ユナイテッドでプレーしていたジェフ・ハーストの放ったシュートがクロスバーを直撃し、ボールはそのまま真下に落下。これがゴールと判定され、意気消沈する西ドイツに対してハーストが追加点を決め、イングランドが西ドイツに4対2で勝利した。ハーストはワールドカップ史上唯一の決勝戦でハットトリックを決めた選手となったが、クロスバーを直撃したゴールは西ドイツ側から「盗まれたゴール」と批判が噴出。

【イングランド―ロシア】相手と競り合うルーニー(右)
【イングランド―ロシア】相手と競り合うルーニー(右)
 のちにこの「盗まれたゴール」はオックスフォード大学でコンピューター解析され、ゴールではなかったという判断が出されている。イングランドは皮肉にも1986年大会の準々決勝で、アルゼンチンのディエゴ・マラドーナの「神の手」によってゴールを盗まれる屈辱を味わうことになる。

 20世紀の2度の世界大戦から、イギリスのEU離脱の可能性の原因となったヨーロッパ経済の主導権争いまで、イギリスとドイツの間には、ある時には敵であったり、ある時にはライバルであったりと、微妙な関係が続いている。その関係はフットボールにも当てはまる。

 1966年大会の疑惑のゴールを未だに認めていないドイツ人は多いが、ドイツ人サポーターやドイツ代表チームを苛立たせるのが、イングランド・サポーターがドイツ戦の際にスタジアムで大合唱する「2度の世界大戦と、1つのワールドカップ」というチャントだ。1966年以降に使われるようになったこのチャントは現在でも使われることがあるが、政治的正しさの観点からあまり好ましくないという風潮も強くなっている。2006年のドイツ大会の際には、地元のドイツ人サポーターを刺激しないようにと、デービッド・ベッカムやウェイン・ルーニーといったイングランド代表のスター選手がこのチャントの自粛を求めるビデオに出演している。しかし、フットボールにおけるドイツの実力は抜きんでており、西ドイツ時代も含めるとワールドカップで4度、欧州選手権で3度の優勝を達成している。

 イングランド・サポーターのチャントにはユーモアにあふれるものも少なくないが、ことドイツに関しては、コンプレックスの裏返しにしか思えないチャントも目立つ。しかし、フットボールを含めた様々なパワーバランスを考えると、そのうちドイツ側から「4度のワールドカップと欧州連合」というチャントが出ても驚きはしない。チャントはイングランド・サポーターのアイデンティティとも呼べるものだが、今大会では現在のイギリスを象徴するチャントを合唱するイングランド・サポーターの存在が確認されている。