川口マーン惠美(作家)

EUの国境はスカスカだ!


 普段はサッカーなど見ないのに、めずらしく独仏親善試合の中継を見ていたら、突然、ドカーンとものすごい爆発音がした。アナウンサーが「何でしょうね……」と訝しがったが、まさかそのとき、フランスの戦後史上最大のテロがパリを襲い始めているとは誰も思わなかっただろう。

 このとき、スタジアムのVIP席には、フランスのオランド大統領とドイツのシュタインマイアー外相が仲良く並んで座っていた。しかし爆発音の後まもなく、SPからの報せでオランド大統領は退席、裏で非常事態についての対策を協議し、そのあいだドイツの外相は、観客がパニックに陥らぬよう、何食わぬ顔で観戦を続けるように頼まれたという。そして、彼は本当に律儀に最後まで座っていた。

 実はこの日の午前中、ドイツのナショナルチームの泊まっていたホテルに爆弾を仕掛けたという電話があり、選手たちは取るものも取りあえず避難を余儀なくされた。数時間後に警戒は解除となったが、予定されていたミーティングはできず、気味の悪さも残った。そのせいだけでもないだろうが、その夜の試合は2対0でドイツの負け。試合後は、パリの治安が不安定だったため、ドイツチームは大事をとって朝までスタジアムに留まった。しかも彼らが標的にならないよう、すでにスタジアムを去ったという偽の情報を流したというから、まさにスパイ大作戦のような緊張の一夜だったに違いない。
2015年11月15日、襲撃があったパリ・バタクラン劇場前の道路は閉鎖され、バリケード前には犠牲者を悼む多くの花がたむけられていた (大西正純撮影)
2015年11月15日、襲撃があったパリ・バタクラン劇場前の道路は閉鎖され、バリケード前には犠牲者を悼む多くの花がたむけられていた (大西正純撮影)
 このテロの衝撃は甚大だった。エリゼ宮やド・ゴール空港ではなくコンサートホールやカフェが、そして、政府高官ではなく一般の若者たちが犠牲になった。しかも、週末の夜、皆が、ごく普通に楽しんでいるところをやられたのだ。13日の金曜日。すべてが象徴的だ。これからのテロは、用心したくてもできないと、おそらく皆がそう思い知った。とくにドイツ人は、独仏のサッカーの試合が狙われたことを気に病み、次はベルリンかと戦慄した。

 翌日オランド首相は決然たる面持ちで、このテロを受けて立つ構えを見せ、国民の勇気と団結を求めた。「フランスは強い。この国は傷ついても、また立ち上がる。誰も我々を消し去ることはできない!」。この感情的な言葉を聞いていると、ひと昔前なら、氏はこの場で即刻、宣戦布告をしただろうと思われた。

 ちなみに、オランド首相が決然たる面持ちで奮い立ったのはこれが初めてではない。大統領になって8カ月後に旧植民地マリに出兵したときも、14年9月にイラク領内のIS施設の空爆を宣言したときもそうだった。だが、この丸顔の大統領が勇ましいことを言うと、ろくなことが起こらない。フランスは、ISの敵国リストの二番目にランクがアップした。トップがアメリカで、ドイツは6番目だったと言われている。