山田順(作家・ジャーナリスト)


《さあ、南京に行きましょう。南京はあなたを待っています。成田空港と関西空港からは二時間半ほど。あっという間に着きます。

 南京は中国の大都市の中でも美しい街の一つで、歴史的にも由緒ある街です。

 市の真ん中には、「玄武湖」という美しい湖があり、あの雄大な「長江(ちようこう)」も流れています。湖の周囲にはウェスティンホテルなどのラグジュアリーホテルが立ち並び、滞在型の観光が楽しめます。

「明孝陵(みんこうりよう)」という世界文化遺産もあります。ここには、あの明王朝をつくった朱(しゆ)元璋(げんしよう)と皇后が眠っています。孔子を祀る「夫子廟(ふうしびよう)」という昔の学問所もあります。廟は合格祈願に訪れる若者でいつもにぎわっています。また、その周辺一帯は繁華街で、川魚をメインにした南京料理も楽しめます。

 でも圧巻は、やはり「南京大虐殺記念館」(中国名・侵華(チンホア)日軍(リーチユン)南京(ナンチン)大屠殺(ダートウーシヤー)遇難(ユイーナン)同胞(トンパオ)紀念館(チーニエンクアン)」)でしょう。ここには、大虐殺の被害者の遺骨や元日本兵から寄贈された資料、パネルなどが展示され、日本軍が起こした惨劇を目の当たりにすることができます。

 ここもまた世界遺産で、二〇一五年十月にユネスコにより世界記憶遺産として登録された素晴らしい「テーマパーク」です》

 もし、私が旅行社の社員なら、このような日本発の南京観光ツアーを企画するだろう。「百聞は一見にしかず」というが、日本で文献や資料にあたり、「南京大虐殺は幻だ」と言ってもみても、なんの効果もないからだ。なぜなら、南京大虐殺は歴史認識問題ではなく政治問題だからだ。
日本軍攻略で敗残国民党軍が街を破壊し尽くした南京にも、今や中心地の新街口周辺には摩天楼が林立する
日本軍攻略で敗残国民党軍が街を破壊し尽くした南京にも、今や中心地の新街口周辺には摩天楼が林立する
 政治問題であるなら、いまさら論争する必要はなく、単にその現場を見ればいいだけだ。

娘の留学先だったナンチン


 これまで私は何度も南京に行っている。ただ、記念館に足を運んだのは一度だけで、その時は家内を連れて、当時、南京で暮らしていた娘に案内してもらった。

 二〇〇六(平成十八)年の初夏、南京の中心街、新街口(シンチエコウ)から記念館までタクシーに乗った。タクシーに乗り込む前から、娘は「日本語を使わないほうがいい」と、家内と私に釘を刺した。

 中国では二〇〇五年に最初の大規模な反日デモが起こっていて、南京はとくに反日感情が強いと言われていた。当時、娘はジョンズ・ホプキンス南京センター(中国名・中美文化研究中心=ジョンズホプキンス大学SAIS大学院が南京大学と提携して開設した中国研究所)に留学していて、すでに何度か記念館に行っていた。

 南京に留学した当初、「大学の中はいいけど、街に出たら日本人とわからないようにしている」と言っていたので心配していた。しかし、その心配はいらなかった。というのは、娘はいっさい日本語を使わなかったからだ。
南京大学と提携して開設しジョンズ・ホプキンス南京センターには英語圏からの留学生も多い
南京大学と提携して開設しジョンズ・ホプキンス南京センターには英語圏からの留学生も多い
 ジョンズホプキンス南京センターは、アメリカからの留学生と地元の中国人学生が半々で、一緒に中国経済、文化、歴史について学ぶ。一九八七年に設立されており、アメリカの大学のアジアでの提携プラグラムとしては、もっとも古いものの一つだ。

 アジアでの進出先として、最初は日本を考えたというが、日本の大学から断られ、南京大学になったという。南京大学(ナンチンターシュエ)は、中国では、北京大学、清華大学、中国科学技術大学、復旦大学に次ぐ五番手の大学だ。

 娘のルームメートは南京大学の職員の一人娘で、日本への留学経験があり日本語も話せた。それで、ただ一人の日本人留学生である娘のルームメイトになったが、二人は常に英語か中国語で話していた。ほかのアメリカ人留学生も同じだった。中国語で話していれば、娘は中国人に見
られる。また、英語で話していれば、今度はアジア系アメリカ人に見られる。

 中国人はとくにアメリカ人には弱い。これは、アジア人ならみな持っている抜きがたい白人コンプレックスで、中国に行くたびに私は、「この点だけは日本人と同じだ」と思ってきた。

 たとえば、留学中のアメリカ人学生は街に出ると、中国語ができても英語で通す。そうすると、買い物でも飲食でも中国人はじつに親切に応対してくれる。彼らが中国語を使うのは、なにかトラブルが起こった時だけだ。そうすると、中国人は「中国語が話せるのか」と驚き、それ以上文句を言わなくなる。