西川京子(元自民党歴史議連事務局長)



九年前に総括された「南京」の捏造


 自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(以下・歴史議連)は平成十九年六月十九日、記者会見を開き、「南京攻略戦は通常の戦場以上でも以下でもなかった」とする『南京問題小委員会の調査検証の総括』を発表した。

 同議連は、中国側が主張する〝大虐殺〟などなかった根拠として、「第百会期国際連盟理事会(一九三八年一月二十六日―二月二日)の議事録」などの一次資料に当たった。

 その結果として、①日本軍による南京陥落直後の昭和十三(一九三八)年、当時の国際連盟で中国の顧維鈞代表が「日本軍による二万人の虐殺と数千の女性に対する暴行があった」と報告し、国際連盟に「行動を要求」したが、「日本非難決議」として採択されなかった②南京戦の総司令官、松井石根大将は、残虐行為を阻止しようとする義務を怠ったとして東京裁判で死刑判決を受けたが、「平和に対する罪」「人道に対する罪」の訴因は無罪だった―ことなどを挙げた。

 記者会見にはAP、AFP、ロイターなど海外のメディアを含む、内外の三十数社が出席し、この問題に対する関心の高さをうかがわせた。

 朝日新聞は、その「調査検証の総括」を同八月二十三日付『南京事件議論再燃』の記事で、〝日本側の主張〟として、南京問題小委の調査結果を引いた上、「日本 虐殺否定の動き活発化」「中国『犠牲30万』見直し論争も」と小見出しを付け〝両論併記〟で報じた。

 いかにもバランスを取っているようだが、当時の中国の顧代表の国際連盟での演説を、「中国の政治宣伝の原点」としたことには触れていない。実は、それこそが最も重要であり、現在に至る、この問題での中国の対日非難プロパガンダの始まりだったのである。

 調査検証に際し、我々は中国側が〝南京大虐殺〟があったと主張する昭和十二(一九三七)年十二月十三日から翌十三年二月までの公文書を重要な一次資料と判断して、入手に努めた。その一つが前述した「第百会期国際連盟理事会(一九三八年一月二十六日―二月二日)の議事録」である。

 それを見ると、一九三八年二月二日正午から開催された第六回会合(非公開会議、次いで公開会議)において、中華民国の顧(こ)代表は、確かに「南京で二万人の虐殺と数千人の女性への暴行」があったと演説し、国際連盟の「行動を要求」している。