上昌広(医療ガバナンス研究所理事長)


 舛添要一氏が東京都知事の職を辞することを表明した。このニュースを聞き、私は暗澹たる気持ちとなった。民主政治の負の側面を象徴していると感じだからだ。勿論、舛添氏にも問題はあっただろう。都知事就任前の政治資金の使い途の問題について、私も、一人の納税者として、このような振る舞いは謹んで貰いたいと思う。

 ただ、同時に舛添氏を、このような理由で叩くことが、果たして有権者の利益になるのかは疑問を感じる。有権者が政治家を評価する際には、その能力と限界を天秤にかけねばならない。利己的な言い方だが、東京都民として「舛添氏を辞めさせた方がいいか、都知事を続けさせた方がいいか」は、自分たちの利益を考慮して判断すべきだ。メディアの「舛添バッシング」に乗ると、最終的に自ら、あるいは子ども達がツケを支払うことになりかねない。

 私は、舛添氏は、政治家としての卓越した能力を持つと考えている。過去に私がみてきた厚労大臣の中で、舛添氏の業績は傑出している。また、東京都知事としても、きっちりとした仕事をしていたと思う。本稿では、政治家舛添氏に対する私の評価をご紹介したい。


妊婦死亡事件から医師不足問題に道筋


 舛添氏は07年8月から09年9月まで、第一次安倍・福田・福田改造・麻生内閣の四期にわたり厚労大臣を務めた。この期間、多くの問題を片付けた。例えば、C型肝炎訴訟、年金記録、新型インフルエンザ騒動、そして医学部定員増である。
 いずれの問題においても、既得権者が存在し、「改革」は困難を極めた。舛添氏の手法は、マスコミを巻き込みながら、世論を喚起し、さらに永田町の政治バランスを利用して合意を形成していくというものだった。
厚生労働相に就任し、会見に臨む舛添要一氏=2008年9月
厚生労働相に就任し、会見に臨む舛添要一氏=2008年9月
 その真骨頂は、08年6月に、1997年の医師定数削減の閣議決定を撤回させることに成功したことだ。
当時、わが国で医師が不足していることは自明だった。国民が医師不足を知るきっかけは、06年2月に、福島県立大野病院で癒着を伴う前置胎盤に対し、帝王切開手術を受けた妊婦が死亡した事件だ。
 担当医が逮捕された。この「不当逮捕」に対し、全国の医師が憤った。そして、メディアも、この問題を調べるようになった。その結果、逮捕された医師が、一人医長として24時間365日、お産に対応していることを知った。この不幸な事件を契機に、国民は、問題の本質が「医師不足」であることを認識し、「医療崩壊」「医師不足」を繰り返し報じるようになった。

 この事件に早くから取り組んだのは、当時参議院議員だった舛添氏である。国会で取り上げ、関係者を支援した。08年8月に福島地裁は無罪判決を下し、検察は控訴しなかったため、無罪が確定した。