開沼博(社会学者)/山本昭宏(歴史学者)

 3月6日、大阪・スタンダードブックストア心斎橋にて行われた『はじめての福島学』(イースト・プレス)刊行記念トークイベントに、開沼博さんが対談相手として熱望したゲストは、『核と日本人 ヒロシマ・ゴジラ・フクシマ』(中公新書)の著者、山本昭宏さんでした。戦後日本人の核エネルギーへの嫌悪と歓迎に揺れる複雑な意識と、その軌跡を、ポピュラー文化から追っていった話題の著は、開沼さんも絶賛。フクシマとヒロシマ、日本人にとって核や原発はどういった存在であり続けたのでしょうか? 社会学者と歴史学者による熱い議論が始まりました。

3・11の議論は、戦後日本が長い間に練り上げて来たものの延長上


山本 震災後に、核の問題への関心が高まりました。しかし、文系の研究者や論者で、核・原子力の問題を扱っている人は意外と少ない。その中でも、いちばん有名な開沼さんと、このような場で話せるのはありがたいです。

開沼 山本さんは2012年に最初の本『核エネルギー言説の戦後史 1945~1960 「被爆の記憶」と「原子力の夢」』(人文書院)を、博士論文を単行本にする形で出しています。それは、大江健三郎の被爆や核への問題意識や対応等を解き明かす内容はじめ、文系の核・原子力研究にとって新しい地平を開く、読者に多くの知見を与えてくださるものでした。ぼくと山本さんとは、そのタイミングで、朝日新聞大阪版で対談してからのつながりです。その記事は東京版でも少し字数が少なくなった形で載りました。

 前作に比べると、本作『核と日本人 ヒロシマ・ゴジラ・フクシマ』(中公新書)の特長は、まず一般向けに読みやすい。あらゆるサブカルチャーやポップカルチャーにおいて、日本人が戦後、どのように核、原子力、被爆を描いてきたのかということを軽やかに書いています。

山本 開沼さんの『はじめての福島学』では、「福島県から震災後、どのくらいの割合の人が県外に避難しているか」などの質問を通して、原発事故後の福島に対する「イメージ」と「実態」が大きくかけ離れているという話がありました。私が取り上げたのは、そのうちの「イメージ」のほうです。実態とはかい離しているかもしれないけれども、例えば被爆者から奇形児が生まれるかもしれないとか、放射性物質で汚染された土地には何十年も植物が生えないなどのイメージがどのように形成されてきたのかということを、この本に書きました。実は3・11以降の議論は、ある意味では日本が戦後の長い時空間の中で練り上げてきたものの延長線上にあるという話です。もちろん、3・11以前と以後で変わった点もたくさんあると思います。しかし基本的には延長線上にあります。
居住制限区域内に積み上げられた除染廃棄物が入った袋=6月10日、福島県葛尾村
居住制限区域内に積み上げられた除染廃棄物が入った袋=6月10日、福島県葛尾村
開沼 ご指摘の通りのこと、つまり、3・11以前からの延長の中に現在の私たちの認識があるという、前から薄々感じていたことが『はじめての福島学』を執筆する過程で、そして、山本さんの『核と日本人』を拝読する中で明確になりました。つまり、戦後日本の中で核・原子力に対する、ある面では非常に現実離れした、超越的・宗教的と言っても良いようなイメージを私たちは持ってきた。私たちは、意識しないうちに、それを脳裏に刷り込まれてきているということです。例えば、「放射線浴びる=モノが巨大化する」、とか、実際は核・原子力がもたらすものと言うのは、そんな、教祖様が起こす奇蹟、あるいは、ドラえもんの「ビッグライト」みたいなものではないんですが、私たちはそういうイメージを持っているわけですよね。これは、日本に核・原子力がもたらされた段階で構築された物語です。先天性疾患や鼻血もそうで、そういう事前に刷り込まれたイメージがまずあって、それが実社会の中で「発見」されていったりもする。いまにも影響を与えている。3・11以後の福島に向けられるイメージ、もっと言えば、誤解・デマを考える際にも様々なことを考えさせられました

 そもそも、山本さんはどのようなことを明かしたいと思って調べ始め、どのようなことが明らかになったんですか。