西村眞悟(元衆院議員)  

 敗戦から七十年が経過し、「日本を永久に武装解除されたままにしておくために起案した」(チャールズ・ケーディス大佐)憲法九条の施行から六十八年が経過している。そして、現在、国会でいわゆる安保法制議論(妄論)が行われている、というわけだ。では、その議論とは、一体、何だ?

 私の知り合いで、TVで「その議論」を見て聞いた人の総ては、馬鹿馬鹿しいと言った! 弁護士の大先輩が、電話をかけてくれて、「テレビを視てたら、アホらしいて、あいつらアホか、メシ食いに行こう」と誘ってくれた。

国会前で連日展開された安保法案反対のデモ。反対派は「戦争法案」と決め付け
憲法違反とするが、事はそれほど単純ではない=昨年9月
国会前で連日展開された安保法案反対のデモ。反対派は「戦争法案」と決め付け 憲法違反とするが、事はそれほど単純ではない=昨年9月
 つまり、その議論とは、現場の現実から遊離した「妄想合戦」なのだ。何故、そうなのか。「日本を永久に武装解除されたままにしておくために起案した憲法九条」の枠内の議論であるからだ。馬鹿馬鹿しいではないか。

 この「」の中の言葉は、憲法九条を起草したチャールズ・ケーディスが、一九八一年四月に、産経新聞の古森義久記者に語ったことばである(産経新聞朝刊、平成十九年七月一日)。彼は、一九四六年二月、三十九歳の時、我が国を軍事占領していたGHQ(連合軍総司令部)の民政局次長・陸軍大佐であり、米統合参謀本部やマッカーサー総司令官から命じられて、十数人のスタッフを率いて十日足らずで一気に「日本国憲法」を書き上げた。
 
 その米統合参謀本部やマッカーサー総司令官が、ケーディスに「日本国憲法」の起草を命じた目的が、「日本を永久に武装解除されたままにしておくため」であった。日本語も日本も知らない三十九歳のケーディスとスタッフが、「日本国憲法」の起草を命じられて十日足らずで書き上げた。その三十五年後に七十五歳になっていたケーディスに古森記者が取材した前掲記事によると、彼は、「びっくりするほどの率直さで答えた」という。

 そして、古森記者は「こちらの印象を総合すれば、日本の憲法は、これほどおおざっぱに、これほど一方的に、これほどあっさりと書かれたのか、というショックだった」と書いている。さらに、「神聖なはずの日本国憲法が実は若き米人幕僚たちによってあわただしく作られ、しかも日本人が作ったとして発表されていた、というのだ」と小森氏のショックは続く。

 極めつけは、次のくだりである。
「同氏(ケーディス)はまず第九条の核心ともいえる『交戦権』の禁止について『日本側が削除を提案するように私はずっと望んでいたのです。何故なら、交戦権というのが一体、なにを意味するのか私にはわからなかったからです』と述べて笑うのだった。」