仲野博文(ジャーナリスト)

【第八回 準々決勝 Match45 ポーランド対ポルトガル】
 準決勝進出をかけて、30日にマルセイユで対戦するポーランドとポルトガル。ともにカトリック社会として知られているが、ローマ・カトリック教会の総本山であるバチカン市国にもフットボールの代表チームはある。バチカンがワールドカップや欧州選手権に出場する可能性は、ジブダルタルやフェロー諸島よりもはるかに低く、今後もまず無いだろう。しかし、各国からやってきた神学生で構成されたチームによってフットボールの国別対抗戦も行われるほど、バチカンにもフットボール好きは少なくない。

 バチカンではヨハネ・パウロ2世が教皇だった2000年、「スポーツを通じてキリスト教コミュニティに活力を授ける」という目的でスポーツ省が設立された。クリケットを中心とした幾つかのチームが精力的に活動を行っているが、その中心はやはりフットボールだ。

 人口わずか830人のバチカンだが、フットボールのバチカン代表はすでに何度か国際試合も行っている。FIFA(国際サッカー連盟)には加盟していないものの、これまでに公式戦を3度行い(相手は全て同じFIFA非加盟国のモナコだった)、1分け2敗という成績に終わっている。職務期間のみ居住権が与えられるという特殊な事情があるため、長年にわたってバチカン代表を引っ張る選手はスカウトできず、スイス傭兵とバチカン美術館の警備員がチームの「主力選手」となっている。

 2010年にはイタリアサッカー屈指の名将として知られるジョバンニ・トラパットーニ氏を1試合限定でバチカン代表の監督に招聘。バチカン内部のフットボール熱は高く、過去には「ローマに留学中のブラジル人神学生を集めて代表チームを作れば、戦力は格段にアップする」といった議論がバチカン内部で真剣に行われたという報道もあったほどだ。

 バチカン代表の創設に大きな役割を果たしたポーランド出身のヨハネ・パウロ2世は、少年時代にフットボールの虜になり、ゴールキーパーとしてプレーしていたというエピソードが残っている。1938年の夏、当時18歳だったカロル・ヴォイティワ(ヨハネ・パウロ2世の出生時の名前)は、大学に進学するためにポーランド南部のクラクフに移り住む。

 同じ時期、ポーランドはフットボールの強豪国となるチャンスをつかもうとしていた。1938年にフランスで開催されたワールドカップに出場したポーランドは、初戦でブラジルと対戦。ブラジルは4得点を挙げたが、ポーランドも試合終了間際に4点目となる同点弾を決め、試合は延長戦へ。当時「黒いダイヤモンド」と呼ばれたストライカーのレオニダスの2ゴールで、ブラジルが6-5で試合を制したが、ポーランドの底力とこれからの可能性を如実に物語った試合内容であった。しかし、翌年にドイツ軍がポーランドに侵攻し、ポーランドはフットボールどころではない状態に直面してしまったのだ。