和田秀樹(精神科医)


現場での運用が悪かったのか

 馳浩文科大臣が5月10日の記者会見で「ゆとり教育と決別する」と発言したことが波紋を呼んでいるようで、ネット上ではさまざまな議論がなされているという。

 ただ、私が注目したいのは、その直後に、「本来、目指していたゆとり教育と本質的なものが現場では違っていた」と続けたことだ。

 これは、何を意味するかというと、馳大臣であれ、文科省であれ「目指していたゆとり教育」そのものは正しかったと考えているということだ。現場での運用が悪かった、「今運用されているゆとり教育」「誤解されているゆとり教育」との決別を明確にしたという話ということになる。

 では、この「本来、目指していたゆとり教育』とは何かということだが、私の見るところ、いわゆる「ゆとり教育」路線に舵を切ってからの日本の教育政策の方向性は以下の3点である。

(1) 詰め込み教育の否定
(2) ペーパーテスト学力(偏重)の否定
(3) 教科学習の否定

 (1)については、ゆとり教育というと2002年施行のものばかりが問題にされるが、これは実は3回目のカリキュラム削減だった。というのは、71年施行(中学校は72年)の現代化カリキュラムと言われるものまでは、学習指導要領が改訂されるたびにカリキュラムの内容は増えていった。それが濃密すぎて、子供が可哀想とか、落ちこぼれがたくさん生まれるとかいうことがあって、「詰め込み教育」と批判された。その影響で、77年制定のものから、指導要領の改訂のたびにカリキュラムの内容は減らされることになる。それが2011年施行のものからカリキュラムを再び増やす方向となり、それが「ゆとり教育の撤回」とうたわれた。

 ただ、カリキュラムの削減はやめようということになったが、他の方向性は変わっていないどころか、むしろ強化されているようである。

 (2)のペーパーテスト学力否定の流れの中で出てきたのが、「観点別評価」といわれるもので小学校は92年、中学校は93年、高校は94年から施行される。

 この施行によって、とくに中学校の調査書(いわゆる内申書)はペーパーテスト学力(これがおおむね「知識・理解」という観点の評価にあたる)だけでなく、「関心・意欲・態度」「思考・判断・表現」「技能」などの観点から生徒の学力を評価して作ることになった。中間試験や期末試験で常に満点をとっても、授業中に意欲がないとか態度が悪いとみなされたり、宿題などの表現が悪かったり、実験室でちゃんと考えていないとみなされると3程度の評価しか得られないことがあるというシステムだ。

 (3)の教科学習の否定というのは、数学や理科や社会などを他教科と切り離された独立した科目として勉強するから、実用性や応用性に乏しいという考え方だ。これに基づき、2002年施行のいわゆる「ゆとり教育」といわれた学習指導要領の導入時に「総合的な学習の時間」というのが採用された。

 ここでは、たとえば、パン屋さんを学校に呼び、原材料をどこから仕入れるという社会科的なことも、あるいはどのようにパンを発酵されるかという化学的なことも、そして原価計算や売り上げから、どのような利益率になるかというような数学的なことも教える。学校で学んだことが実社会でどのように役立つかを知ることもできるという発想だ。ゆとり教育は撤回されたことになっているが、この(2)と(3)は現在の学習指導要領でも撤回されたわけでなく、むしろ強化されつつある。