寺脇研(京都造形芸術大学教授)

ゆとりバッシングが止まらない

 《文科相が「脱ゆとり宣言」 次期学習指導要領で明確化》(産経ニュース)、《馳文科相「ゆとり教育と明確に決別」 確認文書を発表》(朝日新聞)。他のメディアもほぼ同様の見出しを掲げ、馳浩文部科学大臣が「ゆとり教育との決別」を宣言したとのニュースが5月10日に一斉に流れた。

 それが「ゆとり世代」否定と受け取られ、自分が「ゆとり世代」だと思っている若者たちを動揺させているという。折しも4月から人気脚本家・宮藤官九郎のオリジナル脚本によるドラマ「ゆとりですがなにか」(日本テレビ系)が始まっていたこともあり、「ゆとり世代」の評価をめぐる世代論の面からも多くの報道があった。

 だが、ちょっと待ってほしい。

 そもそも、馳大臣は「脱ゆとり宣言」をしたのだろうか。確かに、5月10日の定例記者会見で大臣の発言の中には「ゆとり教育との決別宣言」という言葉が出ている。だが、記者から意図を問われて答えた実際の発言は以下の通りなのである。少々長いが、この問題の本質を正しく理解してもらうために全文引用したい。

 そうですね、私、大臣を拝命してちょうど7ヶ月くらいになると思います。どこかで、ゆとり教育との決別宣言を明確にしておきたいと思っていました。もちろん全否定ではありません。しかし、私はゆとり教育がゆるみ教育と、間違った解釈で現場に浸透してしまったのではないかという危惧と、そういう現場の声を矢がつきささるほど、たくさんいただいてまいりました。これまで国会議員として21年間、文教族議員の一員としてやってきた者として、本来目指されていたゆとり教育と、本質的なものが現場では違っていたというじくじたる思いがありますというのが一点目です。

 同時に、学習指導要領の改訂を控えています。学習内容をどうするのか。アクティブ・ラーニングをどうするのか。そのような意味での教育の質と量の問題、学力をどう評価していくのか、学力とはなんぞやという問題も含めて、目指すべき教育の方向性を明確にすべきであろうと、前々から思っておりましたが、タイミング的にはこのタイミングかなと。理由を申し上げれば、まず中央教育審議会の答申を三つ、昨年末にいただきまして、今年に入りまして、いわゆる学校と地域の協働プラン、通常、馳プランと言っておりますが、発表させていただき、法改正の準備もしています。いつでも出せる準備もしています。

 学習指導要領の改訂を踏まえて、次の改訂で学習内容がどうなるのか、質と量の問題について、やはり現場からどうなるのかという疑心暗鬼もいただいている中で、安倍政権が政権を奪還して、もう4年目に入りますが、安定したこの政権の下であればこそ、このような教育の方針についても、しっかりと打ち出していくことができますし、私自身も大臣として7ヶ月です。ちょうど、様々な答申やそれに伴う対応やいろいろな反響の声もいただきながら、タイミング的は今のタイミングだなと。国会もまだ1ヶ月はありませんが、残っていますし、国会のあるうちに、きちんと表明したいと思っていましたので、このタイミングであります。