山田順(ジャーナリスト)

「駆け込み」出馬だらけの候補者たち


 舛添要一“公私混同”知事の「ボーナス、退職金を懐にした逃げ切り」を許してしまった都民としては、今度こそまともな信頼出来る知事を選びたい。もう2度と税金の無駄遣いをするような人間は選びたくない、というのが本音だろう。それで、「せこくないこと」「クリーンなこと」「実務経験があること」などが、評価基準として俄かにクローズアップされることになった。

 しかし、この世の中にすべてを満たすような人間がいるわけがない。だから、与野党の候補者選びも迷走し、今回は、主要候補者のすべてが「駆け込み」出馬となった。

 迷走ぶりが際立っていたのが自民党で、小池百合子“先行逃げ切り狙い”元防衛相の出馬に対して「わがままだ」「公党への侮辱ではないか」などの発言が飛び出し、結局、増田寛也“実務ならお任せ”元総務相を出すことになった。保守分裂である。

 一方の野党も、古賀茂明“アイアムアベ”元経産省官僚が登場したりした後、最終的には鳥越俊太郎“ガン克服ジャーナリスト”で1本化するまで迷走した。

 こうして14日の告示日を迎えたわけだが、では、誰に“清き1票”を入れるかとなると、組織の“ロボット有権者”(組織票)は別として、まだまだ決めかねている人(無党派層)は多いと思う。そこで本稿では、極めて個人的な、しかし、“一理ぐらいはあるかもしれない選び方”を提示してみたい。

「無責任」な1票でも有権者が負うべき責任


 民主主義の選挙においては、時代の状況によって、政治家の評価基準はくるくる変わる。経済や社会が安定しているときと不安定なときでは、有権者が求めるリーダー像は違う。そこに、利害、支持政党、政策の実現性、政治家としての実績、メディアの情報、候補者の人柄や印象などが加わると、もうどうしていいかわからなくなる。
都知事選候補者の演説を聞く人々=7月14日午前、東京都新宿区
都知事選候補者の演説を聞く人々=7月14日午前、東京都新宿区
 しかし、ただ一つ言えることは、有権者はどのような評価基準で選んでもかまわないということだ。「いい人そうだから」という印象だけで選んでもかまわない。「無責任」と言われようと、「愚民政治」だと有識者からバカにされようと、1票は1票である。
 
 ただし、よく「政治家が悪い」と言う方がいるが、どう選んでもかまわない以上、こういう批判は許されない。批判する権利があるにしても、結果的に悪い政治家を選んだ場合、その責任は私たち有権者が負わなければならない。

 それでもなお、有権者は自由だ。誰にも投票行動を規制されることはない。