一色正春(元海上保安官)

 最近、中国の我が国に対する乱暴狼藉は到底看過できない段階までレベルアップしてきました。相も変わらずその矢面に立たされているのは海上保安庁で、中国が軍艦を送り込んできたときでさえ、本当は後ろに控えているのでしょうが自衛隊の姿は見えませんでした。本来は、それもおかしな話なのですが、今までは「相手が公船なのだから、こちらも海上保安庁で対応する」という言い訳が何となく通用してきましたが、相手が軍艦を送り込んできた今なお、海上保安庁が一番前に立たされている姿は、彼らがただ単に弾除けとして使われているかのような印象を受けます。

尖閣諸島周辺の接続水域内を航行する中国公船(左)と警備のために並走する海上保安庁の巡視船=2013年 9月 (海保提供)
尖閣諸島周辺の接続水域内を航行する中国公船(左)と警備のために並走する海上保安庁の巡視船=2013年 9月 (海保提供)  
 海上保安庁というのは法令の励行や治安の維持が任務で侵略国の軍艦を排除することはできません。ですから、いくら石垣島に巡視船を増やしても、中国が軍艦を投入してくれば真剣に竹刀で立ち向かうようなもので相手になりません。では自衛隊ならば相手になるのかというと、今のところ一概にそうとは言えないところに我が国安全保障の問題点があります。

 何しろ最高法規である日本国憲法の前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と謳い、他国が侵略してくることを想定せず自国の安全や国民の生存を他国に委ねているわけですから是非もないのですが、そろそろ米国の作った憲法に基づく「専守防衛」という自縄自縛のまじないにより、最初の一発を撃てないと固く信じ込まされている人たちも現実を直視して眼をさまし、最初に誰かが犠牲にならなければ国を守れないという我が国の防衛体制の問題点に真正面から取り組んでいただかねばなりません。

 この問題は票にならないだけではなくマスコミや野党から攻撃される面倒なことかもしれませんが、面倒だからといって放置するのは、その不作為により犠牲者が出ることを容認しているのと同じことで、最前線で祖国防衛の任に就いている人間の生命を軽んじていると言っても過言ではなく、そんなものは「平和主義」でも何でもありません。

 こう言うと、専守防衛であっても「相手が攻撃の意思を見せた時には先制攻撃が許される」「だからと大丈夫だ」と反論される方もいるでしょうが、はたして今から殴りかかる相手に「今から殴るぞ」と宣言してから殴りかかる人がいるでしょうか。よく例にあげられるのが「日本を攻撃する意図をもってミサイルに燃料を注入し出した時点で敵ミサイル基地を攻撃することは可能である」という話ですが、相手国の人間も馬鹿ではありませんから本気で日本を攻撃するつもりであれば、簡単にばれるような方法で準備するはずはなく、仮にその端緒をつかんだとしても、どうやって相手の意図を確認するのでしょう。まさか相手に「今からどこを攻撃するのですか」と訊いてから判断するつもりなのでしょうか。

 ミサイルが発射され着弾地点が判明してからでは遅いのです。いずれにしてもスパイ組織を持たない我が国が単独で相手国の情報を得ることは非常に困難であり、このような話は机上の空論としか言いようがありません。そして何よりも今までの日本政府の対応を見ていると、普段は法令解釈上可能であると言っていたとしても、いざというときに攻撃をためらうあまり、それとは違う別の解釈を持ち出して決断しない可能性もあり、実際に適正なタイミングで攻撃命令を下せるかどうかは疑わしいと言わざるを得ません。やはり憲法をはじめとする国家の安全保障にかかわる重要な法令は、解釈によって違う意味にとることができるようなものではなく、誰がどう読んでも同じ解釈しかできないようなものでなければなりません。それに憲法が国家権力を縛るものだと言うのであれば、すべての公務員に我が国の領域を守る義務を課すべきです。

 そして法令以上に深刻なのが、我々日本国民の意識の問題です。極端に戦争を恐れるあまり、見たくないものは見ず、聞きたくないものは聞かず、考えたくないものは考えないで70年以上過ごしてきたため、国民の大半は安全保障に関する知識と理解が極端に欠乏しており、そこに野党やマスコミが付けこんだのが昨年の安保法成立を巡る騒動です。