熊代亨(精神科医)

 ファミコンをはじめとするテレビゲームは、漫画やアニメと同様、「若者をダメにした真犯人」としてたびたび槍玉に挙げられてきました。

 誰とも話をせずファミコンで遊び続ける子どもの姿は、昭和の大人には異様と映ったでしょうし、実際、一人でゲームばかりしていては健全な成長も難しくなるでしょう。ゲームそのものが悪影響をもたらさなくても、子ども同士で遊ぶ機会の少ない毎日を過ごしていれば、そのぶん、コミュニケーション能力を育むための機会や経験も少なくなってしまうからです。
 
 しかし、本当に「ファミコンが若者をダメにした」のでしょうか。

 ファミコンが社会現象となった1980~90年代前半は、受験戦争が最も厳しい競争率を記録し、子どもを塾や稽古事に通わせるのが当たり前になっていった時代でした。

 一人でファミコンばかりしていればコミュニケーションの機会が減ってしまうのと同じように、机に向かって勉強ばかりしていても、それはそれでコミュニケーションの機会が減ってしまいます。ところが当時の大人たちはといえば、ファミコンがもたらす悪影響には敏感でも、「将来のために」と称して子どもを勉強漬けにしたり、子ども同士で遊ぶ機会を奪ってしまったりすることの弊害には鈍感でした。

 職業柄、私はコミュニケーションへの苦手意識を抱えたまま大人になってしまった人に頻繁に出会いますが、テレビゲームや漫画やアニメに溺れていたような、いわゆるオタク然とした人はけして多数派ではありません。それより多いのは、子ども時代に友達と遊ぶ機会を制限され、勉強や読書や稽古事を強いられて過ごした来歴――それこそ、秋葉原連続通り魔事件の犯人の子ども時代を、いくらか穏当にしたような――を背負った人です。

 思うに、子どもの心理・社会的な成長機会を奪ってしまうという点では、一人でファミコンばかりやるのも、一人で勉強や読書ばかりやるのも、弊害はあまり変わらないのではないでしょうか。