ファミコンは、発売されるや子どもたちを引きつけ、やがて一大ブームとなりました。しかし私がはっきり覚えているのは、はじめのうち、ファミコンは「一人で黙々と遊ぶもの」ではなく、「娯楽の王者だった」わけでもなかったということです。

 ファミコンの正式名称は「ファミリーコンピュータ」。その草創期のCMやソフトのラインナップを眺めると、ファミコンが子どもだけでなく親をもターゲットにした商品だったことが伺えます。実際、70年代の『インベーダーゲーム』を覚えているお父さんが子どもと一緒にファミコンを遊ぶ…という家庭も少なくありませんでした。

 放課後も、みんなが一人でファミコンをやっていたわけではありません。鬼ごっこやケードロといった外遊びの魅力は健在で、ファミコンをやるにしても友達同士で集まって遊ぶことが多かったと記憶しています。二人用~四人用のゲームはとりわけ重宝しましたし、『ゼビウス』や『スーパーマリオブラザーズ』にしても、専ら友達とお喋りしながら遊んでいました。

 当初、「一人でテレビゲームを遊ぶ」という習慣は子ども社会に浸透しきっておらず、ファミコンとて、従来の「遊びはみんなでやるもの」という習慣に沿って遊ばれがちだったのです。

 こうした過去を踏まえると、ファミコン自体が子どもの一人遊びをもたらしたわけではなく、塾や稽古事で放課後のスケジューリングが難しくなり、友達同士で集まって遊ぶ機会が少なくなった結果として、一人遊びに最適な玩具としてのファミコンが“発見”されたという側面もあったように思えるのです。
昭和63年2月、ファミコンソフト「ドラゴンクエスト3」の発売開始で東京・池袋の家電量販店に長蛇の列を作った
昭和63年2月、ファミコンソフト「ドラゴンクエスト3」の発売開始で東京・池袋の家電量販店に長蛇の列を作った
 ファミコンブームも後期になると、『ドラゴンクエスト』『ファイナルファンタジー』といった、一人で長時間遊びやすいゲームがセールスの中心を担うようになりました。その後、携帯ゲーム機『ゲームボーイ』が発売され、これも大ヒットしましたが、『ゲームボーイ』はディスプレイが小さく、はじめから一人で遊ぶことを前提にした設計でした。しかしこの頃にはもう、子ども社会のうちに「一人でテレビゲームを遊ぶ」という習慣が定着していたため、一人でしか遊べないことは問題とはなりませんでした。

 『プレイステーション』などの後継機にも恵まれたこともあって、「一人でテレビゲームを遊ぶ」習慣は子どもから大人へと広がっていきました。今では老若男女が通勤電車のなかでゲームを遊び、そのことを非常識と咎める人もいません。それほどまでに、私達は一人でテレビゲームを遊ぶことに抵抗を感じなくなったのでしょう。