ファミコンブームのレジェンドが語る「僕が高橋名人になるまで」

『iRONNA編集部』

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高橋名人(ゲームクリエイター)

 もともとゲームに興味があったかというと、そうでもなかったんです。ただ、大学に入学したころはあのシューティングゲームの元祖『スペースインベーダー』が発表された時でもありました。「インベーダーハウス」という名前のゲームセンターが次々出来て、どの喫茶店にもインベーダーのテーブル筐体が置かれていましたから、私も喫茶店に行って食事した後に100円か200円ぐらい投入して遊んでいました。その場で動かないで遊べるのがよかったのかもしれません。私が大学を中退してスーパーマーケットの青果部で働いていたときも休み時間に遊んでいて、パチンコ好きの上司からは「戻ってこないものに金かけてどうするんだ」と言われましたけどね。思えば私がビデオゲームに初めて接した機会ということになりますね。

インタビューに答える高橋名人(撮影・iRONNA編集部 松田穣)
 ハドソン入社のきっかけは、スーパー時代の昭和56年に、シャープのパソコン「MZ-80B」を買ったことから始まります。ちょうどマイコンブームのころで、ショップの店員さんに「これを買えば伝票整理が簡単だよ」と勧められたんですが、ウルトラマン世代の私は、科学特捜隊の基地でランプがいっぱいついているシーンにすごく憧れていたから、キーボードがあって文字が出てくるコンピュータを見て「かっこいいな」と、思わず手を出してしまいました。本体が28万8000円、加えてフロッピーディスクドライブとプリンター、メモリも増設したので合計75万円ぐらいかかりました。同じころに中古で買ったクルマが45万円の時代でした。

 買ってはみたものの、コンピュータ初心者ですから使い方がわからない。おまけにメモリが32KB(キロバイト)と少ないので、コンピュータにBASICというプログラミング言語を読み込ませてから、実際にプログラムを読み込ませるので、全ての野菜の伝票整理なんて一週間分も入らない。1カ月単位でも根菜類といった分類でまとめないといけないから、買って二週間で無理だと気付きました。でもローンを組んで買いましたから、今みたいな銀行口座から自動引き落としと違い振込用紙が毎月届くので、その金額を見るたびにコンピュータにほこりを被らせたままではいけないと思い直し、プログラミング言語を勉強して、コンピュータにのめりこむようになりました。

 パソコン専門雑誌もよく読んでいました。あるとき、裏表紙にあったハドソンの広告を見ていたら、会社の住所が私の生まれと同じ札幌市で、さらに高校に行く途中にあった会社だったことに気づいた。そのうち知人がたまたまハドソンに面接しに行くというので一緒について行ったら、知人が落ちて私は受かったんです。まるでタレントのオーディションのエピソードみたいですよね(笑)。

 アマチュア無線の店として始まったハドソンですが、私が入社した57年8月にはパソコンのソフトメーカーの方がメインに変わっていました。そのころのコンピュータのプログラムはパソコン専門誌にリストがプリントされているものを、まるで写経のようにユーザーが手で打ち込んでいたので、打ち間違いでエラーが出て当たり前だったんですよ。そこで当時のハドソンの社長の工藤祐司さんが「プログラムをカセットテープに記録したら売れるんじゃないか」と考えて、商品化してみたら本当に売れたんですね。ハドソンが日本で初めてカセットテープに記録して売ったわけですが、ほかの会社も真似してやり始めたことでパソコンのソフト市場が生まれて、活性化されていきました。私が入社した57年は孫正義さんのソフトバンクが経営的に大変だったらしくて、工藤さんが「儲かったら返してくれればいいよ」とソフトを何万本か与えて、それで経営を乗り切ったみたいな話は聞いていますね。だから孫さんの「四大恩人」の一人に工藤さんが入っているみたいですね。
明暗を分けた『ナッツ&ミルク』と『ロードランナー』

 入社後は営業部に配属され、1年後の昭和58年には宣伝部に異動となりました。それまでハドソンでは宣伝に力をいれていませんでした。扱ったのは「今月の新作がいっぱい出ました」みたいな雑誌広告ぐらいのもので、社員一人いれば済んだんですね。ところが、その年の7月15日にファミコンが発売され、任天堂からシャープ経由で「ファミコン用のBASIC言語を作ってみないか」と打診があったんです。ファミコンがまだ何物か知らなかったハドソンも、カセットが30万本出ている玩具だと知り、ファミコンへの参入が決まりました。だって当時のパソコンの世界ではゲームソフトが1万本売れれば大ヒットですけど、ファミコンソフトの『ポパイ』や『ドンキーコング』なんていきなり30万本出荷していたので、経営陣もGOサインを出しますよね。ただ、まだゲームを開発する前段階だったので「『ファミリーベーシック』というBASIC言語で簡単なゲームプログラムを作るのですが、BASICは子供には絶対に分からないから、高橋が解説本を書け」という命が下りまして、この『ファミリーベーシックがわかる本』の制作が宣伝部に移った時の最初の仕事になりました。子どもが少しでも分かりやすいように漫画を描いてもらう間に10本のゲームプログラムを書いて、カセットテープに記録してセットで売り出したら、おかげさまで12万5000部ぐらい売ることができました。

ゲームをする高橋名人=1998年7月23日
 「高橋名人」という名前になったのは昭和60年のことです。前年、ハドソンがファミコンのゲームソフトを発売しました。アクションパズルゲーム『ナッツ&ミルク』と『ロードランナー』の2本を出したんですが、両タイトルを同じレベルで宣伝をしたら共倒れするということで、ロードランナーの方に力を入れて宣伝したら、その通りに110万本も売れてしまいました。そして61年に3作目としてシューティングゲーム『バンゲリングベイ』を出すことが決まりましたが、ゲームとしては面白いのですが、プレイヤーが動かすヘリコプターの操作方法が難しいんです。ちょうどナッツ&ミルクを発売したころから『コロコロコミック』編集部の皆さんと仲良くなりまして、誌面展開もさせていただきましたが、当時の子供にはちょっと面白さが伝わらなかったんでしょうね。バンゲリングベイは本数的にはうまくいきませんでした。

 バンゲリングベイの発売2カ月後には『チャンピオンシップロードランナー(以下、チャンピオンシップ)』というロードランナーの続編を発売しました。全世界のユーザーが作って投稿した、非常に難易度の高いステージをまとめたゲームなんですけど、ロードランナーを知らないとまずクリアできないんですよ。ただでさえバンゲリングベイで失敗していたので、子供たちに受け入れられるかどうか不安でした。そんな時、コロコロから「コロコロまんがまつり」でステージをやってみないかという提案があったんです。コロコロまんが祭りといえば、今の「次世代ワールドホビーフェア」の前身で、漫画家さんのサイン会などが行われていました。私たちも子供がチャンピオンシップを見てどういう反応が来るのか実際に知りたかったし、コロコロもファミコンブームを肌で感じてみたいと思っていたようです。
「高橋名人」が誕生したハドソン全国キャラバン

 銀座の松坂屋で私がチャンピオンシップを実演してゲーム画面を見てもらうことになったのですが、1000人ぐらいの子供が集まって、イベントは大成功を収めました。実演を終えた私の前に200人ぐらい並んでいるので、「どうしたの?」と聞いたら「サインが欲しい」と言われて驚きました。サインなんか書いたことないので途中で疲れてきて、1日3回もサインが変わりました。コロコロまんが祭りには、ハドソンの将来を占うイベントということで役員が大勢来ていましたが、打ち上げで社長が「これを全国各地でやったら面白いんじゃないか」という話が持ち上がり、7月に「ハドソン全国キャラバン」がスタートすることになりました。それまでゲーム大会というのは各店舗の店頭でこぢんまりとやってるのが多かったんですけど、全国レベルで日本一を決める大会は全国キャラバンが最初だと思います。

ハドソン宣伝本部宣伝部在籍当時の高橋名人=2009年10月07日
 「ハドソン全国キャラバン」を行う上で話し合いを重ねて行くうちに、ラジオ体操の先生みたいに実演をする人がいるという話になったんです。まだ昔社員数が少なかった時代ですので、宣伝部のファミコン担当がまだ私一人しかいなかったので私が担当することになり、どうせだったら名前も決めようという話になり、「将棋や囲碁の最上位の人は名人と呼ばれるから、名人はどうだろう」と一言で「高橋名人」が誕生したわけです。

 第1回キャラバンの競技用ソフト『スターフォース』で披露したことから、私の代名詞となった「16連射」ですが、実は第1回では16連射と言ってなかったんですよ。その後に出た言葉なんですね。子供から「敵を倒すのがすごい速いけど、どれぐらいのスピードで打っているの?」という質問があって、調べてみることになりました。ただ調べる機材が全くないもんですから、スターフォースの攻略ポイントを使って、アバウトに数えてたんです。だから翌年公開の映画で『スターソルジャー』をプレイしたフィルムをスタッフが数えてくれたら、実際は17連射していたそうです。ただ、元々ハドソンはコンピュータのソフトメーカーで、仕事柄16進数も使っていましたし、キリがいい綺麗な数字ということで16連射にしました。

 皆さんによく聞かれますけど、16連射の特訓はやっていません。でもコツはお教えできますよ。16連射は指先だけでやっていると思いがちなんですけど、私は肘から指先まで全体を動かしているんです。だから腱鞘炎には絶対にならない。後は物理の問題で、同じスピードでも引き上げた指の高さを半分にすれば倍の回数で打てるからどんどん狭くしていきます。1、2ミリぐらいにするのが一番いいんですけどね。ただ、いまの私だと3~5ミリぐらいなので、もう16連射は無理ですね。調子の良い時でも13連射前半になってしまいました。

 第1回キャラバンで全国を回ったことで名人人気は確かに上がっていきましたが、子供の中だけの話なんですよね。夏休み期間ですから当然と言えば当然ですけど。ファミコン人気も同じようなものでした。変わり始めたのは、年末に「クリスマスファミコンフェスティバル」というチャリティイベントを開催したときのことでした。ちょうど取材に来ていた東京新聞が翌日の紙面の見開きに「〝スーパーヒーロー〟出現」「今、子供たちのあこがれ」「ファミコン・高橋利幸名人」と大きく取り上げてくれたんです。すぐに「週刊文春」や「フライデー」から取材依頼が来ましたよ。ファミコン人気の出始めなので、ほかのマスコミも話せる人間を探していたんじゃないでしょうか。年明けに雑誌が発売されて、大人にもファミコンブームが一気に広がっていきましたね。また、キャラバンを終えた9月に発売された『スーパーマリオブラザーズ』の存在も大きかった。「ファミコンに面白いゲームがある」と口コミから広がり始め社会現象を巻き起こしたわけですから、ブームを大きく後押ししましたね。
「ゲームは一日一時間」合言葉に込めた思い

 「ゲームは一日一時間」という言葉は子供たちには色んなことを経験してもらいたかったという思いから出たものですが、実は第1回キャラバンから言っていました。世間では「テレビゲーム=不良」というイメージがついていたこともあって、ファミコンでも同じ印象を持たれるのはまずいということもありましたね。でも「ゲームを売る側の高橋が『遊ぶな』と言うのは何ごとだ!」とほかの関係者からクレームがあって問題になりましたが、工藤さんが「これからのゲーム業界には健全なイメージが必要だから、会社として子供へのメッセージにしよう」と判断してくれてOKになりました。この判断がお母さんたちにも受け入れられたポイントじゃないかと思うんですね。今だったら漫画による影響力が大きければ、一気に各世代に受け入れられることが多いですが、当時のコロコロコミックの読者層はほぼ小学校高学年しかいません。教育熱心なお母さんだったらコロコロを開くかもしれませんけど、お父さんは『小学六年生』のような学習雑誌でさえ読まないと思うんですよ。でも高橋名人が「ゲームは一日一時間」と言えば、お母さんたちも「名人が1時間って言っているんだからやめなさい」と言えるようになるわけですからね。

高橋名人(撮影・iRONNA編集部 松田穣)
 第1回キャラバンのスターフォース予選では2分間のプレイで高得点を競うルールでしたが、2分間だと1面クリアぐらいしかできないんですよ。そうなると高得点を叩きだすには敵を早く倒す必要がありますから、早く打つしか方法がなくなってくるんです。中でも子供たちは1秒間に8発打たないと5万点のボーナスが入らない「ラリオス」というボーナスキャラを倒さないと決勝に進めないので、なおさら名人は子供が届かない点数を出さなきゃならなくなります。負けちゃうと「名人」の称号が崩れていくんですよね。子供って結構シビアなんですよ。デビューしたての名人が同じエリアで3回失敗して、「帰れコール」が起きましたからね。横で見ていて本当にかわいそうに思いました。私だって失敗はよくありました。ただ運が良くて、子供の前で失敗する確率が本当に少なかったんですよね。私のプレイはほぼテレビの生番組とイベントだけだったんですが、長くても5分程度なんですね。生番組で30分間もプレイはしませんし、イベントでも最初の2、3分を見せれば大丈夫でしたから。もし失敗しそうになってもポーズを押して「いいかみんな、ここからはな…」と子供に説明を入れながら、再開してミスをして「これはしょうがないよな」なんてごまかしたりもしました(笑)。だから練習時間も1日1時間ぐらいで、ゲーム開始からの5分間程度を集中的に練習しました。

 今のシューティングゲームって、魅せるためのプレイと点数を取るためのプレイが違うんですね。でも私は基本的には魅せながら点数をできるだけ稼ぐというプレイをしていました。シューティングゲームの上手な人がプレイすると敵の出現位置がすぐ分かってきて、出てきた瞬間に打っちゃうから、画面の真ん中に自機以外敵が1匹もいないんですね。でもそんな画面を子供に見せても面白くもなんともないんですよ。私は宣伝部ですから、ゲームを売るためのイベントということを考えてプレイし続けると、魅せるポイントっていうのが決まってくるようになるんです。だから敵が自分の周りを一周して帰ってくるんだったら半周ぐらいはさせておいて倒したりしました。ただ、それをやるとただ敵をやっつけるスピードが遅くなるので点数がどうしても伸びないんですけど。だから点数だけ稼ぐプレイもやっておきました。でもキャラバンが2年目、3年目になると点数よりも魅せるプレイをすることだけを心がけるようになりましたね。「名人」は第1回キャラバンで私しかいませんでしたが、2年目以降は〝弟子〟たちも2代目、3代目の名人として全国を回ることになったので、点数を稼ぐプレイは彼らに任せ、私は子供たちに解説をしながらプレイして、ゲーム画面が面白く見えるようにすることに注意を払いましたね。
バイクを指で止める…映画「高橋名人VS毛利名人」は悪ノリしすぎた?

 昭和61年はファミコンブームが全盛を迎え、私も歌手デビューしたり『高橋名人の冒険島』という自分が主人公のゲームソフトを発売した忘れられない年になりましたが、何と言っても思い出深いのは、映画『高橋名人VS毛利名人 激突!大決戦』ですね。山本又一朗さん(映画プロデューサー)がハドソンに来られて、第1回の全国キャラバンを見て面白いんじゃないかと企画を持ってこられたんです。実は全国キャラバンは南北二手に別れていて、南を私が回って、北をバイトだった大学生の毛利名人にお願いしていたので、二人を対決させたいと言うんです。映画化の話に社長はじめ経営陣も乗り気で、だったら来年のキャラバンで使用するゲームで行おうと話になり、スターソルジャーでのバトルが決まりました。そこで企画に入ってもらっていた渡辺浩弐君(作家、ゲームクリエーター)と映画で何をしたらいいのかということを考えていたら、「戦うだけじゃ面白くないから訓練しているシーンも入れよう」という話が持ち上がったんです。

 すでにコロコロコミックでは野生派の高橋、都会派の毛利という設定が出来上がっていたのも幸いしました。私なんて、3周巻きついていたへその緒を自分で引きちぎって生まれたことになっていましたから(笑)。その設定に乗る形で、毛利君はジムやプールサイドのトレーニングやピアノ特訓をさせることになりました。渡辺君が「じゃあ、名人はどうする?」と聞かれましたので連射特訓をやっぱり出したいと思ったので、食堂のカウンターや工事現場のハンマードリルで連射するアイディアがどんどん出てきて、すべて採用されました。中でも印象的だったのは伝説となったスイカ割りですね。本当に出来たんですかって? 出来るわけないですよ(笑)。実は下から圧縮した空気を送って割ったんですけど、なかなかきれいに割れないので10個ぐらい買って試して、軽く切れ目を入れたらようやくスパッと割ることができました。もちろんスイカはスタッフがおいしくいただきました。あと、バイクを止める指のトレーニングもありました。これは前輪ブレーキだけ掛けておいて、アクセルを吹かせば後輪は空回りしますから大したことはありません。私も「どうせやるなら楽しい方がいいよね」と悪ノリしちゃうんで、ほぼ不可能なアイディア以外はやりましたね。

ゲーム見本市「E3」に設けられた人気シリーズ「ファイナルファンタジー15」の体験コーナー=6月14日、米ロサンゼルス
 全盛期のゲーム業界は日本がリードしていましたが、今は海外の方が優勢になってしまいました。海外のゲーム会社は日本以上にスタッフを投入して大工場のようにあっという間に作っている。市場規模も大きいので発売当初から数百万本売れるんですよ、日本だと頑張っても百何万本売れたら御の字と考えてしまう。特に『プレイステーション4』ぐらいになってくると、もう億単位の開発費でなければ作れなくなってきます。海外のゲーム業界では日本は面白いゲームを作れなくなったと厳しい見方をしますが、海外しか見ていないからじゃないでしょうか。日本だとCGにしなくても面白いゲームがあるじゃないですか。ただ多額の費用を投入しなくてもいいようになるけど、ビジュアルが安っぽいと言われることを気にし始めると、それなりのグラフィックが必要になるので、開発費も高騰して、目標の売り上げ本数も一桁上げなきゃいけなくなる。そうするなら内容も充実させなければいけなくなるので、全てにおいて底上げが必要になってしまいますよね。でもそこそこのグラフィックだけどゲーム性さえ考えれば面白くできそうなゲームもいま出てきてますから、ゲーム機に合ったゲームを作れる環境というのを、日本はもう一度整えた方がいいのかなと思いますね。
ゲーム大会で賞金を出せるシステムを

 それにスマートフォンのゲームアプリやソーシャルゲームが出てきて、大きく様変わりしました。だって「基本無料」が当たり前になってるじゃないですか。まずは遊んでもらって、アイテムで課金して、利益を上げていくシステムが大前提になってきている。ただ最初に広告を打って名前を広めないと、ダウンロードもしてくれない。だから結局コンシューマゲームと同様に宣伝費がかかるわけですから、「基本無料」というのはなかなか難しい。当然ですよね、スーパーの販売員さんが「おいしいですよ」と試食品を10人に配って1人買ってくれれば上出来という世界をゲームソフトでやっているのですからね。

 今後日本のゲーム界が盛り返すためには、ユーザーの皆さんにも、ゲームが苦労するものじゃなくて楽しく遊べるものだと感じてもらえることが鍵になる気がします。ゲームってやっぱり遊びの一つなんですよ。ソフトの値段も決して安くはないですし、私もメーカーの人間なんで、あんまり言ってしまうとまずいんでしょうけど、作る方も買う方も遊ぶ方も気楽なぐらいの方がいいと思うんです。今の社名でも使っていますけど、「ドキドキ」という言葉を広めたいと私は思っているんです。「カワイイ」もそうですけど、日本から発生した言葉っていっぱいありますよね。ドキドキもなんか「ワクワクする」とか「驚く」とか、色んな意味が込められているので、ゲームで遊ぶ時の一つのキーワードとして広めていきたいですね。だからメーカーの方もドキドキさせてくれるようなゲームを出してほしいし、ユーザーもゲームを遊んでドキドキして欲しい。

 私が代表理事を務める「e-sports促進機構」では、ゲーム大会で賞金を出せるシステムを作ろうとしています。世界ではゲームで対戦して賞金を稼ぐことができるし、大いに盛り上がっているんですが、日本ではまだまだこれからの分野で、生計を立てられる状況にはありません。法律的な問題もあるので、稼げるようになるには簡単ではないです。でもいつかは、日本でプロゲーマーが食えるような環境にしていきたいですね。ただそうなると多くのソフトメーカーの協力を得て進めていく必要があります。さらに大会を盛り上げるために、さまざまな分野の企業から寄付金を集めていかなければいけません。ドワンゴの『闘会議』みたいに、一つの冠大会の中に『みんなのゴルフ』や『ウイニングイレブン』の大会があるとみんなが集まってくれるし、盛り上がってくれれば、ユーザーはみんなドキドキしてくれますよね。その仕組みを早く確立していかなければいけないと思ってます。
日本のゲームの未来は明るい!

 今の子供はスマホが当たり前の時代になってきていて、幼児だって何も考えなくてもスマホを操作できますよね。つまり、操作に関するハードルがないんですよ。その当たり前の感覚を、同じ端末でもゲームと教育で枝分かれさせた方がいいのか、あるいは遊んでいくうちに勉強になるようにゲームと教育を繋げて行く形がいいのか、これから考えていかなければならないでしょうね。子供って楽しければ勉強すると私は思っていますから、例えば数学が苦手な子供でも、パズルゲームのようにすれば面白がって解けるようになる。子供はゲームを通して学ぶものがいっぱいありますから。もともとゲームがなくても昔の子供って伝承遊びから色んなことを学んできているし、例えば木登りから握力が強くなったりとか、鬼ごっこするから駆けっこが強くなったり、かくれんぼするから隠れる知恵がつきますけど、それと同じようにテレビゲームも色んな知恵を与えてくれると思うんですね。

画像はイメージです
 スターフォースの時なんかメーカー側は誰も思ってなかったことですけど、小学生がアルファ、ベータ、ガンマ、デルタって覚えたんですよ。たまたま面の数をギリシャ文字にしていたからですけど、ゲームやるだけで身についたんですよ。『三国志』だって難しい武将の名前を覚えるようになったし。だから遊びを通してやることで覚えていくんですよ、子供って。だからその当たりをもう少し上手くやれば、それを東大に入れる子供に育てるってところにはいかないかもしれないけど、全体的な学力の底上げの部分につながっていくんじゃないかと考えています。だからそういうアプリを作っていけば、子供は絶対良い方に反応するんじゃないかなと思いますね。

 私は日本のゲームの未来は明るいと思っています。新しいゲーム機が出るから可能性が出てくるんじゃなくて、今までのゲーム機を使ってもまだまだいっぱい出来る気がします。『3DS』の時に脳トレが一気に流行りましたし、『ゲームボーイ』の時にはテトリスが大ブームになりましたよね。だから日本人って新しいアイディアが出るとみんな飛びついてくれるから、ブレイクするソフトが一つでも出てくれば、みんなの大きな注目が集まると思うんですよね。ただ今は自分自身で見つけられていないのが、ちょっと悔しいですけど、誰か面白いアイディアを見つけてくれると思うので、そこに期待したいですね。(聞き手・iRONNA編集部、川畑希望/松田譲)

たかはしめいじん 本名・高橋利幸(たかはし・としゆき)。1959年生まれ、北海道出身。現在はタレント活動のほか、「ドキドキグルーヴワークス」の代表取締役名人としてゲーム制作業務に携わる。ニコニコ生放送のゲーム情報番組『電人☆ゲッチャ!』などでゲームプレゼンターとしても活躍中。 

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