入社後は営業部に配属され、1年後の昭和58年には宣伝部に異動となりました。それまでハドソンでは宣伝に力をいれていませんでした。扱ったのは「今月の新作がいっぱい出ました」みたいな雑誌広告ぐらいのもので、社員一人いれば済んだんですね。ところが、その年の7月15日にファミコンが発売され、任天堂からシャープ経由で「ファミコン用のBASIC言語を作ってみないか」と打診があったんです。ファミコンがまだ何物か知らなかったハドソンも、カセットが30万本出ている玩具だと知り、ファミコンへの参入が決まりました。だって当時のパソコンの世界ではゲームソフトが1万本売れれば大ヒットですけど、ファミコンソフトの『ポパイ』や『ドンキーコング』なんていきなり30万本出荷していたので、経営陣もGOサインを出しますよね。ただ、まだゲームを開発する前段階だったので「『ファミリーベーシック』というBASIC言語で簡単なゲームプログラムを作るのですが、BASICは子供には絶対に分からないから、高橋が解説本を書け」という命が下りまして、この『ファミリーベーシックがわかる本』の制作が宣伝部に移った時の最初の仕事になりました。子どもが少しでも分かりやすいように漫画を描いてもらう間に10本のゲームプログラムを書いて、カセットテープに記録してセットで売り出したら、おかげさまで12万5000部ぐらい売ることができました。

ゲームをする高橋名人=1998年7月23日
ゲームをする高橋名人=1998年7月23日
 「高橋名人」という名前になったのは昭和60年のことです。前年、ハドソンがファミコンのゲームソフトを発売しました。アクションパズルゲーム『ナッツ&ミルク』と『ロードランナー』の2本を出したんですが、両タイトルを同じレベルで宣伝をしたら共倒れするということで、ロードランナーの方に力を入れて宣伝したら、その通りに110万本も売れてしまいました。そして61年に3作目としてシューティングゲーム『バンゲリングベイ』を出すことが決まりましたが、ゲームとしては面白いのですが、プレイヤーが動かすヘリコプターの操作方法が難しいんです。ちょうどナッツ&ミルクを発売したころから『コロコロコミック』編集部の皆さんと仲良くなりまして、誌面展開もさせていただきましたが、当時の子供にはちょっと面白さが伝わらなかったんでしょうね。バンゲリングベイは本数的にはうまくいきませんでした。

 バンゲリングベイの発売2カ月後には『チャンピオンシップロードランナー(以下、チャンピオンシップ)』というロードランナーの続編を発売しました。全世界のユーザーが作って投稿した、非常に難易度の高いステージをまとめたゲームなんですけど、ロードランナーを知らないとまずクリアできないんですよ。ただでさえバンゲリングベイで失敗していたので、子供たちに受け入れられるかどうか不安でした。そんな時、コロコロから「コロコロまんがまつり」でステージをやってみないかという提案があったんです。コロコロまんが祭りといえば、今の「次世代ワールドホビーフェア」の前身で、漫画家さんのサイン会などが行われていました。私たちも子供がチャンピオンシップを見てどういう反応が来るのか実際に知りたかったし、コロコロもファミコンブームを肌で感じてみたいと思っていたようです。