櫻田淳(東洋学園大学教授)

 天皇陛下が先々の譲位の御意向を漏らされたという趣旨の報道は、内外に衝撃を与えた。報道の真偽は定かではない。故に、この件に関して論評を加えるのは、それ自体が軽率の謗りを免れまい。ただし、この件を含めて間欠泉のように吹き上がる皇位継承の話題を前にして、われわれが国民として自問すべきは、民主主義国家でもあり立憲君主国家でもあるという日本の「国のかたち」の意味である。
葉山御用邸近くの海岸を散策される天皇、皇后両陛下=2月5日午後、神奈川県葉山町(宮川浩和撮影)
葉山御用邸近くの海岸を散策される天皇、皇后両陛下=2月5日午後、神奈川県葉山町(宮川浩和撮影)
 従来、日本では、民主主義国家としての体裁は延々と議論されたけれども、共和制国家ではなく立憲君主国家であることの意味は、真面目に考えられてこなかった。民主主義体制と立憲君主制度という二つの政治制度には、相応の「緊張した関係」がある。民主主義体制は、本質的に人々の「平等」を前提とした政治制度であるけれども、立憲君主制度とは、皇室や王室を頂点とする社会の「階層秩序」を自明のものとして受け容れている政治制度である。明治以後、「国体」という言葉で想起された立憲君主国家としての型が強固に出来上がっている中で、民主主義体制の論理を正当に擁護しようとしたのが、吉野作造に代表される「大正デモクラシー」論客の努力の意味であった。吉野作造は、明治憲法下の立憲君主体制に民主主義体制の論理を整合させる難しさを察知すればこそ、デモクラシーを「民本主義」として紹介し、それを擁護したのである。

 そして、戦後一転して、民主主義体制の論理が称揚される中、「開かれた皇室」像が模索されたのは、その民主主義体制の論理に立憲君主制度を合わせようとした努力の表れであったといえるであろう。故に今、考えなければならないのは、民主主義体制の論理の暴走や拡散の中で、立憲君主国家としての型を確認し直すことではなかろうか。こうした二つの政治制度の「緊張した関係」に眼を向けなければ、当代の議論は、何時まで経っても吉野作造の時代の議論を越えられまい。総てが民主主義体制の論理で語れるなどというのは、戦後日本の最たる誤謬である。特に立憲君主制度の根幹にある話は、そうである。

 もっとも、現行憲法第二条に、「皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」と定められ、皇室典範がその趣旨に沿った法律として位置付けられている以上、その改正に国会議決という「民主主義体制のプロセス」を経なければならないという現実がある。以上のような認識を踏まえて、皇室典範論議に際して留意すべき点があるとすれば、次のようになろう。