八木秀次(麗澤大学教授)

 NHKは7月13日午後7時のニュースで〈天皇陛下が、天皇の位を生前に皇太子さまに譲る「生前退位」の意向を宮内庁の関係者に示されていることが分かりました〉と報じた。

 衝撃の内容である。天皇陛下は、ご高齢でいくつかのご病気を抱えながら数多くのご公務をなされているが、天皇としての務めが十分に果たせないことに責任を感じ、若い世代に譲るべきとのお考えと思われる。
日系人の歓迎を受けられる天皇、皇后両陛下=1月28日午後、フィリピン・マニラ(代表撮影)
日系人の歓迎を受けられる天皇、皇后両陛下=1月28日午後、フィリピン・マニラ(代表撮影)
 そのお気持ちは大変尊く、お気持ちをかなえて差し上げたいというのが国民大多数の思いだ。しかし、具体策を考え始めると、問題解決はそう簡単でない。

 皇室典範には「生前退位」(譲位)の規定はない。「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」(第4条)との規定があり、崩御されるまでは在位されるとし、ご生前での譲位・退位を否定している。陛下のお望みをかなえようとするならば、皇室典範の改正が必要になる。

 しかし、皇室典範は恒久法であり、ご生前での譲位・退位を制度して認めるような規定を設けると、今後の皇位継承や皇室の在り方に混乱をもたらす可能性もある。譲位・退位の要件や手続きについて明確なルールを設けないと、譲位・退位が政治的に利用され、皇位の安定を揺るがすことにもなる。

 歴史を振り返ってみても、政治権力者など外部によって譲位・退位が強要されたり、時の天皇が影響力を残すために恣意的に譲位・退位するケースもある。

 皇室典範が生前の譲位・退位を規定していないのは、むしろそれを積極的に排除した結果と言える。現行皇室典範(昭和22年)は明治の皇室典範(明治22年)を基本的に継承しているが、明治の皇室典範にも譲位・退位の規定はなく、むしろ排除している。

 明治皇室典範の公的な逐条解説書である『皇室典範義解』(明治22年6月刊)は、譲位は本来の皇室の伝統ではなく、譲位を使って時の権力者が皇室内を対立させたことに言及し、代表例として南北朝時代の混乱を挙げている。

 『皇室典範義解』の記述のもとになったのは、皇室典範制定過程における伊藤博文の発言で、伊藤は、譲位の慣行は仏教の影響であり、いったん即位すれば、終身在位が当然であり、自由に譲位することはできない。摂政の制度があれば、譲位を制度として設けることは不要だと述べている。