榊裕葵(社会保険労務士)

 先日、京都へ出張して市バスに乗っていたときのことだ。あるバス停で、足の不自由な50歳くらいの女性がバスに乗車しようとしたのだが、乗車口の段差を上がるのに難儀していた。

 それを見た若い男性の運転士は、運転席を離れて女性のとこへ行き、女性が段差を上がるのを手伝おうとした。私は、運転手の行動を心の中で「素敵だ!」と思っていたのだが、次の瞬間、耳を疑ってしまった。その女性が運転手に対し「ほっといてちょうだい!誰も手伝ってなんて言ってない」と、大声で罵声を浴びせたのだ。
 運転手は席に戻り、女性が着席するのを待ってバスを発車させたが、女性はバスの中でも、大きな声で運転手に対して非難する言葉を投げ続けていた。

 女性の気持ちを察すれば、「私は自分でできることは自分でやりたいのよ」と思ったのであろうことは理解できる。

 しかし、そうであったとしても、私はなぜ運転手が罵声を浴びなければならないのかが納得できなかった。そこで、しばらく時間を置いて冷静に考えてみたのだが、私はこの事件の一部始終を見て、2つの問題点を感じた。

障がい者・健常者の前に「人」と「人」


 第1は、女性が運転手を罵倒した行為自体の問題だ。障がい者の方だから、ということではなく、そもそも「人」と「人」とのコミュニケーションとして、問題があったのではないかということだ。障がい者の方であれ、健常者の方であれ、他人から何らかの親切を受けたならば、辞退する場合であっても、お礼を言いこそすれ、罵倒するなどあってはならないことではないだろうか。

 私が見た限り、運転手は「早くしないとバスが遅れてしまうんだよ!」というビジネスライクな対応ではなく、純粋に女性の方を気遣っての行動であった。親切心から女性を助けようとした運転手が、傷ついたり、トラウマになったりしないか私は心配だ。

 第2に、女性が運転手の親切を拒否した結果、本来生じなくてよい社会全体のロスが生じてしまったのではないかということだ。女性が乗り終わるまでバスは発車をすることができず、ダイヤに遅れが生じ、交通量の多い京都の街の中で、後続の交通にも大きな影響が出てしまった。

 もちろん、誰もサポートできる人がいない状況であれば、女性がバスに乗り終わるまで待つべきであるし、たとえ時間がかかったとしても女性を非難すべきではない。障がい者の方が安心して公共交通機関を使えないようなことはあってはならない。

 しかし、助けようとしてくれる人がいるのに、あえてそれを拒否して、社会全体の流れを止めてしまうのは、「障がい者の方の価値観の尊重」という形で、社会全体として受け入れることが正しいのか、私は考え込んでしまったのだ。