茂木健一郎(脳科学者)

 英国のEU離脱に関する国民投票の結果、離脱派が多数を占めた、ということに、私は衝撃を受けた。月日が経っても、その衝撃は消えるどころか、ますます深まっている。

 何よりもショックだったのは、今回の国民投票、そしてそれを受けた政治過程に、私の知る、良い意味での「英国らしさ」がなかったということだ。国民投票をきっかけにして、英国の政治は、取り返しの付かないかたちで、変質し始めようとしているように見える。そして、このことは、日本にとっても決して他人事ではないと思う。

英首相官邸前でEU旗を掲げる残留派の男性=6月24日、ロンドン
英首相官邸前でEU旗を掲げる残留派の男性=6月24日、ロンドン
 もともと、英国は、日本と同様、長い歴史と伝統を誇る国である。その英国においては、政治は、「暗黙知」を一つの叡智としてやってきた。すべてを言わなくてもわかる、無言のうちに共有されている価値観がある。そのことを前提に、重要な「変革」をしてきたのである。

 英国には成文憲法がないのは、有名な事実である。アメリカ合衆国憲法のような成文憲法は、独立戦争や革命といった劇的なことが起こる国にこそふさわしいのであって、英国のように、徐々に、慣習を積み重ねることによって社会を変えてきた国では、「これが我々の憲法だ」と声高に主張するような「派手な」行為は、むしろ、恥ずかしい、そぐわない、というくらいに思われてきた。

 例えば、「首相」という地位でさえ、長年の慣習の積み重ねで、半ば自然発生的に生まれてきたのである。英国史上「最初」の首相と言われているのは、18世紀に活躍したロバート・ウォルポールだが、これも、後から振り返れば「首相」に当たる職務を果たしていた、というだけのことで、明確にそのような地位が設けられたわけではなかった。

 英語では、すべてのことを明確に言う、という「俗説」が日本には流布しており、今でもそのように思い込んでいる人がいるが、それは全くの誤解である。おそらくは、同じように英語を話すアメリカの一部の人たちの振る舞いを見てそう思ったのか、あるいは、英語の理解が、そもそも中途半端だったのだろう。